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引っ越しのあいさつと居住年数

2008年6月16日

写真陶芸家のハーフセルフビルドの家を訪ねました。なにがいいって、自分の欲しいところに、欲しいサイズの棚を作れるのが最高に羨ましい。写真  

 ある座談会で、住宅メーカーの社長さんが言った。

「賃貸住宅だと、一生住むわけじゃないから、ご近所にあいさつしなくていいやとどこかで思ってしまうところがある。持ち家の場合は、末永くお世話になりますという気持ちがあるから、あいさつ回りをする人が多いようです」

 東京のマンションでひとり暮らしをしている編集者が

「たしかにそうですね。私も引っ越してもあいさつしたことがありません。子どもでもいれば、ご近所づきあいも濃くなるし、また違うんでしょうけれど」

 これまで、住む年数であいさつをするか否か、判断したことがなかったので、「そういう人もいるのだなあ」と、ある種驚きの思いで聞いていた。なにせ私は、冗談ですまないほどのずぼらでうっかり屋。そういう性格を知っているので、ひとり暮らし時代から、あいさつだけは怠ったことがない。

 たとえば、上京して初めて住んだ1軒目でも、こんなことがあった。

 都心の会社で深夜まで仕事。終電はとうに過ぎているので葛飾区の自宅までタクシーで帰宅した。ところが、疲れ果てた体で家にたどり着くと、鍵がない。会社に忘れてきたのだ。取りに帰るには遠すぎる。あと1往復分のタクシー代の持ち合わせもない。

 弱り果てて、ふと隣の部屋を見ると明かりがついている。たしか、きれいなOLさんが住んでいたはず……。ドアのそばに耳を近づけると、彼氏らしき人との楽しそうな話し声も聞こえる。よかった、まだ、起きている。不幸中の幸いというか、危険なことに、その日、私はベランダの鍵をかけていなかった。

 ドキドキしながら勇気を振り絞って「トントン」とノックをした。おしゃべりがぴたりと止まり、しばらくしーんとしたあと、女性がドア越しに「どなた?」と小声で聞く。

「隣に住む大平ともうします。じつは鍵を忘れて、お宅のベランダ沿いに入れないかと……」

 カチャ。ドアが開いた。きれいなお姉さんの向こうに、彼氏が心配そうに立っている。

「コンバンワ。ベランダ沿いって、ここは2階だけど、あなたが行くの?」

 彼女は私に心配そうに言った。

「はい。四谷の会社に鍵を忘れたみたいで、今から戻ることもちょっとできないので。ベランダに鍵をかけてこなかったので、そこから入ろうとおもいます」

「タカシ、行ってあげなよ」

「うん、いいよ。僕がベランダからそちらの家に入って、玄関の鍵を上げることになるけど、それでもいいのなら」

「いいんですか! 2階だし危険ですよ」

「危険って、女性のあなたのほうが危険じゃない。ねえ」

 ふたりは笑って、彼は奥に消えた。

 その後、彼が私の部屋を通って鍵を開けてくれ、私は無事、自分のねぐらで安眠することができた。

 翌日、御礼にお菓子と名刺を持参し、ゆっくりと交流が始まった。なにしろ、初対面で彼氏とも会っているし、プライベートを隠しようもない。あっというまに、ざっくばらんに、なんでも話せる仲になった。

 彼女は私より三〜四歳上で、一度離婚を経験している。デパートの派遣社員で、今の彼は職場の同僚。交際は内緒らしい。「だからいつもこそこそ会ってるの。あなたの前では、ふたりで堂々としていられるからうれしいわ」と言った。

 料理上手な人で、しょっちゅう「ご飯作り過ぎちゃったから食べにおいでよ」と呼ばれた。隣なので気がゆるみ、遅くまでふたりで深酒をした。情けないことに、鍵を忘れる事件はその後も2〜3度あり、そのたびに彼女を起こした。一度も嫌な顔をせず、「もうしょうがない子だね」と、ドアを開けてくれた。初めてひとり暮らしをした東京で、初めて、仕事以外で仲良くなった女友達だった。

 〜拙著『とっても心地いい!シンプルひとり暮らし』(すばる舎)より〜

 私のような人間には、ご近所さんはイザというときに、なくてはならない存在である。絶対、遠くの肉親より近くの他人。鍵を忘れて深夜に立ち往生しても、長野の親は助けてはくれないのだから。

 きれいなお隣さんはやがて越していった。「じゃあ、元気でね。今までありがとう」とあいさつをして、それでおしまい。これからどうするのか。彼氏と結婚するのか。どんなところに引っ越すのか。お隣さんだからこそ、せんさくしないことが大事だ。べったりしすぎず、だけど困っているときは「あいよ」と二つ返事で助けの手をさしのべる。そういう関係でいい。

 おそらく、そういう関係は、最初の小さなあいさつから始まる。

 自分は絶対だれにも世話にならない、と断言できるシッカリ屋さんはあいさつしなくてもいいのかというと、それも違うかなとは思うのだが、さて。

プロフィール

大平 一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、12歳、8歳の4人家族。

著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。

ホームぺージ別ウインドウで開きます「暮らしの柄」

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