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「ありがとう」のごはん

2008年9月8日

写真ご相伴にあずかった幸せの食卓、横山タカ子邸。エアコンはないが、建具やしつらいを夏と冬で変え、くふうをしている。今は夏仕様。写真よしずを張ったふすまは、いかにも涼やか。

 長野の料理家の先生のお宅でごちそうになった。新聞社を定年退職され、今はいろんな企業で新聞の読み方についてレクチャーしているというご主人が、おかしそうにこんな話をしてくれた。

 「このあいだ、若い人の集まりで、『うちは毎日、どんな料理が出てくるか、楽しみです』と言ったらね、シーンと静まりかえっちゃったんだよ」

 「どうしてですか? 冷やかされたり、うらやましがられたりしませんでした?」

 「いや、全然。みんな、意味がわからなくてきょとんとしているようでしたよ」

 妻のつくる料理がおいしくて、毎日どんな品が出てくるか楽しみだと、あまりに正面切って堂々と言ったので、若い人たちは驚いたのかもしれない。あるいは、ごはんは「作る」より買ったり、食べに行ったりするものという概念が勝って、意味が理解できなかったのか。

 日本人は、妻や夫を人前でほめたりすることが苦手で、それはひとつの美意識なんだろうと思うが、「愚妻」なんていう言葉を聞くと、やはりいい響きには感じられない。なんにつけても、毎日繰り返される家事の一つである料理に、心から感謝するという姿勢はすがすがしくてすてきだなあと素直に思う。

 夫人は料理家なのでおいしいのは当然だろうと思われがちだが、毎日、スタジオやイベント会場、料理本の撮影、その他の教室等々におわれる身で、自分の家族の食事を三食おろそかにしないというのは、じつは容易なことではない。料理撮影ひとつとっても、撮影前は早朝から仕込みの準備、一日中立ち仕事で撮影をこなした後はくたくたに疲れ果て、自分の家族の料理をつくる気力など残っていないという人を何人かみてきた。見た目以上に雑誌や料理本の撮影現場は時間との戦いで、精神的にも体力的にもハードなものだ。

 夫人は、どんなに仕事が忙しくなっても家族の食事はおろそかにしたくないという人で、撮影日も出来る限り家人の食事を用意していく。仕事から帰宅すると、地元で採れた野菜を中心に、季節にあったおかずをささっと何品も作る。決して凝った料理ではないが、旬の滋味あふれるみずみずしい野菜料理や漬物、オーブン料理は、本当にご主人の言うとおり、毎日の大きな喜びであり楽しみの素であろう。

 ビール、ワイン、冷酒と次々に差し出されながら初対面のご夫婦と杯をかさねる。互いに名前で呼び合い、始終冗談を言い合うふたり。夫人が席を立った拍子などに、「なんて仲がいいんだろうね」と来客同士、小声でささやきあった。

 帰りの電車で、編集者が口を開いた。

 「あのご主人、何度もおいしいおいしいって言ってましたね。あんなに言われたら、作っている奥さんもさぞかしうれしいでしょうね」

 「奥さんは、ありがとうが口癖みたいだったね」

 私たちは、そう言いながら、はっとした。

 そうか。長年よりそったあのご夫婦の絆は、食卓で深まっているのだ。つくるものを「おいしい」と言って食べ、ほめられたら「ありがとう」と返す。その、あたりまえの言葉の両方に感謝の気持ちが介在し、小さな愛情が宿っている。

 取り繕った仲の良さではなく、自宅でくつろぎながら呼吸のついでのように言う「ありがとう」のやりとりがいかにも自然で、そばにいるこちらまでほおがゆるみ、幸せな気持ちになった。

 ちなみにご主人は全く料理をやらないわけではなく、その日の昼の蕎麦は、つゆからつくったそう。するとすかさず、今度は夫人が言った。

 「この人のつくるおつゆ、おいしいのよ!」

プロフィール

大平 一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、12歳、8歳の4人家族。

著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。

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