2008年12月1日
ある新築マンションを訪ねたら、エントランスにユリの生花が。かぐわしい香りが来客を出迎える、なんというぜいたくとしばしみとれた。
私のある日曜の一日。
朝7時起床。中学のサッカー部の試合に行く息子に朝ご飯をつくり、送り出す。無精者としては日曜の朝くらいもう少し寝たいので、もう一度布団に潜り込み、8時まで二度寝。
8時に夫、小学生の娘とともに起床。朝ご飯を食べ、9時に車でサッカー場へ、息子の応援に行く。三十数年ぶりの都大会出場とのことで、ふだんは行かない息子の試合に意気込んで一家で観戦。郊外の会場まで車で1時間。
二回戦敗退の結果を見て、うどん屋で昼ご飯を食べる。
午後1時半。今度は娘の女子サッカーの練習場へ向かい、娘を降ろして帰宅。夫婦で手分けして1週間分の掃除をして、衣替え(今頃!)をし、不要な家具の処分のためリサイクルショップを調べ、パソコンをあれこれして検索しているうちに4時半。夫、遠方のグラウンドまで娘を迎えに行く。私はその間、今日息子が持ち帰ってきたサッカーウエアだの、客用シーツだの、本日二度目の洗濯をする。
夕方5時。やろうやろうと言いながら、先延ばしにしていたチーズフォンデュセットをようやく持ち出し、ゆで野菜やトーストなど夕食の準備にかかり、6時に夕食。夫や娘は夕食の準備中に風呂に入る。
「想像してたのよりおいしくない」だの「そんなこと言うもんじゃないよ。こっちは一生懸命つくってるんだから」だの「焼きれんこんが意外にぴったり」だのあーだこーだ言いあいながら、ようやくゆっくり夕ご飯。食べ終えてもまだ7時で、それぞれのんびり過ごす。
私はビール片手にほっと一息つきながら、先日取材したコーポラティブハウスの若いお父さんの言葉を思い出していた。
「僕は1週間の中で日曜の夕方5時過ぎが一番好きです。子どもと風呂入ってゆっくり妻の料理を待つ。あとはなにもやることがない。子どもと寝るだけ。あー、なんて幸せだろーって思います」
我が家はいつもはそんなにのんびりできなくて、ことにこの3〜4カ月間は夫か私が常に土日も仕事であわただしかった。だから、あの若いお父さんのように、毎週日曜の夕方を幸せに思うゆとりはないけれど、この日はしみじみとその言葉に共感した。
思えば、子どもの頃は日曜の夕方がキライだった。明日から学校だ。宿題したっけ。学校の用意は完璧かな。『サザエさん』が始まると、いよいよ休日はもうおしまいなのだという事実が胸に迫ってせつなくなった。子どもは大人より、過ぎ去った過去や、これからくるすぐ近くの未来に強く一喜一憂するような気がする。
ところが逆に大人になると、あるいは誰かと夫婦や家族という単位を築くようになると、今、このありふれたささやかな一瞬に感謝することが多くなる。
晴れて洗濯物が乾いてありがたい。みそ汁がおいしくできてありがたい。家族で食卓を囲めてありがたい。今日も無事に一日終えることができてありがたい。
それは、ふわっと口の中でとけてなくなるラムネ菓子みたいに、ほんの一瞬の幸福なのだけれど、やがて私たちは気づく。そういう一瞬一瞬の営みの中に宿る幸福こそ、本物のそれではないだろうかと。モノやカネでは得られない充実感がそこにはたしかにあると覚えるからだ。
日曜の夕方に寂寥感に包まれるのは子どもで、小さな幸福を感じるのは大人。だとすれば、年をとるのも悪くないものだ。

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、12歳、8歳の4人家族。
著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。
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