2009年7月20日
『リライフプラス』(扶桑社)という住宅雑誌の取材で、近所の「聖三一教会」を訪れました。東京には、個人や地元の人の力で守られている指定文化財級の美しい建物がたくさんあります。〜「東京anonymous建築紀行」より〜
もう長い間、トイレットペーパーや洗剤のストックをしていない。どれもひとつずつ(トイレットペーパーならロールの束ひとつ)だから、最後の1個が終わったときに、切らしていることが多くて冷や汗をかく。しばしば、我が家のトイレには臨時にティッシュペーパーの箱が置かれるのは、準備の悪い私のせいなのである。家族も慣れたもので、またかという顔で、あきらめてすんなり事態を受け入れている。ときどき、息子が「リンスがなかったら俺が困るから」と小遣いで買ってくることもある。1週間もリンスがないのが耐えられない年頃なのだろう(しっかり、あとで立て替え代を請求される)。
結婚したての頃は、家庭を切り盛りするのが何となくままごとのように嬉しくて、こまめに「買い置き」をしていた。上記の日用品はもちろん、薬、電球、ティッシュペーパーの箱も、安売りのときに5箱入りを2個買ったこともある。必ず使うものなので、安いときにまとめ買いすると、賢い主婦になれたようで得意になった。
しかし、コーポラティブハウスに参加することになって、最初に建築家に「服、布団、本、CD、傘から靴まで、家のなかに収納されているものの数をすべて表に書き出してください」と言われ、呆然とした。なにもかもがあふれるほどに多いのだが(傘など4人家族なのに15本近くあった!)、なんといっても日用品の「ストック」の多さに愕然。こんな狭い家にこんなに?どうやって?、と疑いたくなるほどであった。
子どもが小さな頃は、日用品を買いに行く暇がないので、風呂洗剤でもゴミ袋でもなんでも2個買っておくのが癖になっていた。それはそれで、働く母としては、良策だったと思う。とくにストックで便利なのは、小学校の漢字のノートなどの文房具だ。子どもというのは、なぜか前もってノートが終わりそうなことを言わない。必ず、なくなった当日に「漢字のノートが終わった」という。仕事から帰ってきて「さあ夕ご飯の準備を」とあくせくしているときに、開いている文房具屋を探し回るのはしんどいものだ。
だが、文房具と違って日用品は場所を取る。厳密に考えれば、ここにも家賃はかかっている。
私は洗面台の奧の埃をかぶった漂白剤を見ながら決心した。
日用品の買い置きはやめよう。
18マス限定の漢字ノートと違って、きょうび、風呂洗剤も漂白剤もトイレットペーパーも、どこにでも売っている。我が家の場合だと、コンビニ、ドラッグストアは、徒歩圏内に4軒ある。つまり、切らしてもすぐ買いに行けるのだ。そして、切らしたところで、明日国語の授業で必ず使うノートと違って、一日二日はなんとかしのげるのが、日用品の類だ。
私は、「切らしたら困る便利依存症」「安かったら買わなきゃ損と焦る消費病」に冒されていただけだと、思いこむことにした。
やってみると、なにもかも、何日かないことで困りはしないのだ。昨夜も風呂洗剤を切らしたので、ええいままよといつもより力を入れてスポンジで風呂釜をこすったら、まったく拍子抜けするほどきれいになった。なければないでなんとでもなる。そもそも、そんなに力づくで「ないこと」に対応しなくても、すぐそこに売っているのだから買いに行けばよいという話でもある。
日用品は近所の店にストックさせてもらっているというつもりになれば、お得気分も増す。地域柄や生活スタイルの事情でこまめに買いにいけない場合はともかく、我が家の倉庫はコンビニやドラッグストアでよい。そこに置いてもらっていて、欲しいときは欲しい分だけ商品の代金を払って入手する。倉庫代はタダなのである。
我が家のストックをやめようキャンペーンは小さくずっと続けようと思っている。
長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、12歳、8歳の4人家族。
著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。
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