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画材屋のおじさん 〜下北沢駅前市場にて〜

2010年6月28日

写真駅前市場。いまだに地元の人間は「闇市」と呼ぶ人もいる。近々取り壊しが決まっている。写真多くの店は閉店。シャッター通りになりかけているやや寂しい光景。立ち飲み屋など何軒かは営業中写真取り壊しまでの期間限定で営業している短期の店もちらほら。

 小さな額が欲しかったので、下北沢の駅前市場(正式には下北澤前食品市場)の画材屋に行った。ここは、戦後の闇市として発展した場所で、今は小さなアーケードに立ち飲み屋や乾物屋、雑貨やなど昔ながらのスタイルで何軒か並んでいる。何軒か、というのは、もうすぐ小田急線の高架化と大型道路建設で、今年の12月でここはつぶされるため、多くは閉店してしまったからだ。かつては舶来(はくらい)のチョコレートや菓子が並ぶ大商店街で、人でごった返していたと、近所に住んでいた作家の森茉莉が書いている。

 路地が多く、車を気にせず人がそぞろ歩ける街、下北沢の顔、あるいは象徴といってもいい。一見、屋内に見えるが、半屋外で、北口から南口に通り抜けられる路地にトタンの屋根がかかっており、店が軒を並べている。通路脇には、「自転車は降りて、押して通ってください」「傘はたたんでください」という手描きの看板が。工事の始まる日までの営業という前提で、若い人が小さなバーや飲み屋をやっていて、今は残り火が消える前の最後の賑(にぎ)わいを見せている。

 画材屋に入ると、ご主人が「どんなのがいいの」と、まるで親戚のおじさんみたいに気軽に話しかけてくる。客がひとりかふたり入ればいっぱいのその店で、しばらく立ち話。「朝と夜みたいなイメージを対比した2枚の絵を飾りたいので」「あ、そう。なれこれどう?フレームは桜。1800円だけど1枚1000円でいいや」。あまりの安さに目をこらしてみるが、本当に堅い桜で上質なことがわかる。

「そんなに安くしちゃっていいんですか?」「いいんだよ、もう閉めるからさ。オヤジの代からやってきたけど12月で終わりだ。そうだ、これいらない?」

 ご主人は明るく言い放ち、目の前のガラスのショーケースを指さした。180センチ幅の陳列台だ。

「古道具屋に言えば高く売れますよ」と私が浅い入れ知恵をしたが、彼は笑い飛ばした。

「いいんだ、いいんだ。そういうの、めんどくさくて嫌いなんだ、俺。よかったら持ってってよ。この店にあるの、なんでもいいよ」

 もはや古道具どころかアンティークと行っても良さそうな、鉄製のワゴンや大小のガラス棚がある。私は、最近、家の中の持ち物ダイエットをしたばかりなのをいいことに、ついいつもの貧乏根性が出て、「じゃあ、これもらいます。あとで車で取りに来ます」と気がついたら申し出ていた。180センチの陳列台である。アクリルでなくちゃんとしたガラスで、昔ながらのプレーンなスタイルがいい。本棚にも食器棚にもなりそうだ。ただ、持ち物ダイエットはだいなしだ。

「あ、そう。こっちも助かるよ。じゃ、適当に取りに来て。本当に来てね」

 念押しはするが、名前も聞かない。ただの口約束だ。おじさんとの約束を守らなくてはと、さっそく家に帰って夫に相談(というより事後報告)した。夫は「そんな大きいもの、もらったって困るだろ」とため息をつきながら、とりあえず自分も下見に行った。私の悪い癖(くせ)とあきらめているらしい。それに同じ穴のムジナでやっぱりちょっと興味があるのだ。

 帰宅して「どうだった?」と聞くと、やっぱりあのおじさんは名前も聞かなければ連絡先も聞かなかったという。「店の前に出しておくから、朝、勝手に持ってって」。それだけだった。

 果たして翌朝、車でのりつけると、シャッターの前にちゃんとそれは置いてあった。店は閉まっていて、おじさんはまだ店に来ていなかった。なんという適当な。でもこの適当さがこの街の魅力だ。きちきちしすぎず、孤立もせず、人と人が緩い距離を保ちながら、隣り合い、つながりあっている。大型道路ができたら、間違いなく地価も上がる。おじさんのような小売店が開業できるような余地はないだろう。大型資本のチェーン店が並ぶほかの街と変わらぬ表情になる。そのとき、この緩(ゆる)く適当であったかいつながり合いはどうなるのか。八百屋で、喫茶店で、クリーニング屋で。画材屋ののおじさんみたいに、ふつうに店頭で会話をしながら買い物をするこの普通のなんてことのない日常が、その後も続く保証はない。

 産業廃棄物の処理料が減るし、きっとたくさん立ち退き料ももらっているだろうし、そんなにあのおじさんは寂しくないよ、と友だちは言う。けれど、「親父の代からやってきたけど」とからりと明るく言う姿がむしろ、私には寂しそうに見えた。「どっかでお店やるんですか」という私の問いに、「廃業だよ、廃業」と言った。変な同情やセンチメンタルな感情はいらないよ、俺はこんな大変な商売から足を洗って楽になるんだからさ、とでも言うように、さらりと明るく。でも、淡々と言えば言うほど、こっちまで切なくなるのは何故だろう。父から続いた店をたたむのに、葛藤のない人間なんていないはずと私は思う。

 明日は、大福でも持って御礼に行くつもりだ。万一「このワゴンいらない?」と聞かれたら絶対に断る覚悟で行かねば!

プロフィール

大平 一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、14歳、10歳の4人家族。

著書に、『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)『自分たちでマンションを建ててみた。〜下北沢コーポラティブハウス物語〜』(河出書房新社)、『かみさま』(ポプラ社)など。【編集または文の一部を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』『loving children』(主婦と生活社)、『ラ・ヴァ・パピヨン』(講談社)。最新刊は、『センス・オブ・ジャンク・スタイル』『スピリッツ・オブ・ジャンク・スチル』『ジャンク・スタイル・キッチン』(風土社)の3部作。

ホームぺージ「暮らしの柄」

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