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2013年1月7日
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「小さな家の生活日記」

あのころの自分を訪ねて――最終回に寄せて

文と写真:大平一枝

写真:22年前まで自分が住んでいた部屋を訪ねる夫。拡大22年前まで自分が住んでいた部屋を訪ねる夫。

 年末にタイ旅行をと思っていたら、安い航空券は11月末にとっくに売り切れていた。嗚呼と思っているうちに日が流れ、12月20日過ぎに国内の宿を探し始めた。結果、名古屋のホテルならなんとかなりそうだということになり、18歳から数年間住んだ愛知を車で旅することにした。

 来春、大学生になる息子のこれからの旅の同伴者は友だちや恋人だろう。とすれば、これが最後の家族旅行かもしれない。夫と私が、学生から社会人になって働くまでを過ごした場所を子どもたちに見せておくのも悪くないと思った。

 はたして夫と私が暮らしていた独身時代のアパートは、20年余の歳月を経て、それぞれそのまま残っていた。

 夫の部屋はビルの6階、鉄筋コンクリートの頑強な造りだが、風呂がない。6畳一間にコンロがひとつだけ。共同廊下を通って部屋に入る下宿屋ふうの部屋である。当時、カビが生えそうな万年床の一人暮らしの男の家に泥棒など入るはずもない。1年中、鍵も窓も開けっ放しで、仕事場で何日か寝泊まりしたあと帰宅したら、部屋に雀が巣を作っていたこともある。私が遊びに行くと足の踏み場もないほど散らかっているので、つま先立ちで歩いたものだ。台所もトイレも何もかも信じられないほど小さくて、窓がひとつしかないその部屋に、今は誰も住んでいない様子だった。渋々ついてきた長男は「せまっ。よくこんな所に住んでたね」と目を丸くしていた。

 次に私のアパートに行く。少し迷ってたどり着いた路地の先に、安普請のモルタルのコーポがあった。新築で白壁のかわいい外観を気に入っていたのだが、現在は取り壊し予定になっているらしく壁はくすみ、階段は錆(さ)びて今にも崩れ落ちそう。外からのぞくと、ところどころ壁紙がはがれ、いかにも廃屋そのものである。

 リビングの前が空き地で、日曜日に布団を干すとふかふか1週間気持ちが良かったのだが、今は目の前に大きな家が建ち、どの部屋にも日が当たらずじめじめと暗そうである。

 時の流れはいつもだいたいこんな具合に残酷なものだ。夫の部屋は写真を撮ったが、自分の部屋は撮らなかった。一人暮らしで好き勝手やっていた頃の日々は、記憶の中では輝いている。それをそのままにしておきたかった。

 お金もなく、インテリアにも今ほど興味はなかったが、それでも暮らしやすいように空色のカラーボックスを幾つも並べてみたり、敷物を替えたりして楽しんでいた。職場の仲間10人ほどで宴会をしたこともある。

 家という箱には、そのときどきの自分の精一杯がつまっている。初めてもらう給料で家賃を払い、器を買い、ストーブを買う。わずかばかりの貯金をして、あとは何に消えていったのやら。今見たらぺらぺらの安アパートだが、間違いなく世界にひとつの、自分が一番ほっとできる城だった。

 趣味も嗜好もライフスタイルも、生き物のように変遷する。年を重ねて気づく無垢の木の味わいや、クラシックデザインの良さというものがある。それは、すべてたくさんの安物や、お金がないがゆえの工夫の末に得た価値観であり美意識である。

 価値観や美意識は、生き方次第で育ちもするし、やつれもする。

 お金がないなりに居心地の良さを追求していたあの頃の精一杯が、褪(あ)せた外壁からでさえも透けて見えるようで、胸がいっぱいになった。子どもたちの目にどう映ったかはわからないが、私にとって忘れられない家族旅行となった。

  □

 これが「小さな家の生活日記」の最終回。11年間にわたって、過ぎていく今日という時間を、住まいというフィルターを通して記録する貴重な体験をさせていただいた。それははからずも、見えない一瞬一瞬がいかにかけがえがなく、いかに尊いかを確認する作業でもあった。

 連載当初、2歳だった娘は13歳になり、6歳の息子は17歳になった。家という巣作りと、育児と仕事を両立させようとあくせくしながら歩んできた試行錯誤の個人的な日々の記録を、子どもやご家族のいない方が読んでどう思うだろう。楽しいだろうか。ほっとしていただけるだろうか。海の向こうで暮らす人にも届くだろうか。

 瞬時に上書き更新できるウェブというひどく心もとない記憶装置に託した文字は、私の小さなためらいや戸惑いをよそに、多種多様な世代の男女、海を越えたむこうにも届き、たくさんのメールと出会いをいただいた。それらはすべて執筆の原動力になった。

 誤字脱字甚だしい拙文にお付き合いくださったあなたと、根気よく併走してくださった4人の編集者にこの場を借りて御礼を申し上げたい。

 ご愛読有り難うございました。

■編集部より

 1月10日に、朝日新聞デジタル内にウェブマガジン「&w」が誕生します。そのなかで、大平一枝さんの新連載「東京の台所」が始まります。どうぞ、ご期待下さい。

プロフィール

大平 一枝(おおだいら・かずえ)

長野県生まれ。女性誌や文芸誌、新聞等に、インテリア、独自のライフスタイルを持つ人物ルポを中心に執筆。夫、16歳、12歳の4人家族。

著書に『見えなくても、きこえなくても。〜光と音をもたない妻と育んだ絆』(主婦と生活社)、『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『世界でたったひとつのわが家』(講談社)、『日曜日のアイデア帖〜ちょっと昔の暮らしで楽しむ12か月』(ワニブックス)『かみさま』(ポプラ社)『センス・オブ・ジャンク・スタイル』(チルチンびとの本)など。【編集または取材を担当したもの】『白洲正子の旅』『藤城清治の世界』、『昔きものを買いに行く』(以上「別冊太陽」)、『lovehome』(主婦と生活社)、『続 暮らしのヒント集』(暮しの手帖社)など。最新刊は『もう、ビニール傘は買わない。〜暮らしと自分を変える60の習慣〜』(平凡社)

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