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開きっぱなしの門扉。近所の子どもはいつでも歓迎。 |
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女たちの憩いの場。後ろにカーテンで仕切られた入り口。戸はありません。 |
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タリベ(修行僧)たち。缶にごちそうを分けてもらい、この笑顔。 |
セネガル・中林さえ子 所変われば、家変わる
戸はあっても開きっぱなしか、壊れている。これが首都ダカール近郊にある一般的な庶民の家だ。最近では都市化が進み、何の変哲もないアパートに住む人も増えてきた。また、いわゆる“田園調布”に当たる高級住宅地で、常時、門番さんが見張っている豪邸に住む人もいる。しかし、大抵の庶民はこの“戸のない家”に住んでいる。
“戸のない家”と言っても、敷地に入るための門扉はある。が、通常日中は開けっ放し。門をくぐると、平屋建ての棟が二つほど、女たちが憩うオープンスペースを囲んで建っている。親戚筋が間借りしていることも多いが、異民族の別家族も一緒に住んでいる。
しかし、それぞれの家族の住む部屋の出入り口には空間を区切る扉がない。大抵は薄手のレースのカーテンで、かろうじて仕切られている程度。つまり、出入り自由、見通し良好、ついでに風通し良好なのである。
実際、誰でも家に入ってくる。客として応接間で待っていると、子どもたちが入れ代わり立ち代わりやってきて、ソファに腰掛けくつろいでいる。なんと子だくさんの家なのかと驚いていたら、2人以外はすべて近所の子どもだった! 見慣れない「ジャポネ」(日本人)の子どもをカーテン越しに見つけると、もう大騒ぎ。珍しいお友達と遊ぼうと、よそ様のおうちに近所の子が全員集合!
お次の訪問者は、イスラム宗教指導者のもとで暮らすタリベと呼ばれる修行僧だ。と言っても、農村から首都ダカールへやってきた男の子たちのこと。彼らは食事時にやってくる。ここイスラム社会では、タリベは家庭の残りご飯の恵みにあずかれる特権階級なのだ。さて今日は、普段めったにありつけない肉料理。どこからか聞きつけたのか、次から次へとタリベがやってきて、ちゃっかり、「ごちそうさま!」。
ほかにも、赤の他人も家に入り込む。なかには電話を無断拝借する不届き者もいるそうだ。覚えのない電話代に困り果て、限度を超えたら電話が切れる特別サービスを利用する家庭もあるくらいだ。
戸をたてず風通しをよくする。それは暑さをしのぐための暮らしの知恵。また、人々が互いにつながっている証しでもある。困っている知人がいれば家族の一員のように助け合う。こちらの社会の伝統だ。願わくは、この社会の掟(おきて)も緩やかで、常に風通しがよいといいのだが……。借金の申し込みなど、しがらみにのまれて頭を抱える人もいる。
大家族、そのまた家族の大々家族。助け合いの輪は広がっていく。家に戸がない。いや、いらない。そこに、この社会を知る鍵がある。