PR 住まいの最新情報ガレージは「タンポポの間」2007年09月22日 フランス・小笠原めい 華麗なるガレージ
ボルドー空港のほど近くに、戦後の米軍駐留用に作られた住宅街がある。しかしかのドゴール将軍が「アメリカさん、どうもありがとう、でも駐留していただく必要はありませんョ」と言って、米軍をフランスから追い出した話は語り草となっている。かくして「アメリカ地区」とも呼ばれるこの一帯、米軍が住んだのは10年にも満たない。築60年経つが、中途半端な古さを感じさせず、規格の揃った小奇麗な家が並ぶ静かな住宅街である。目くじらを立てて保護するほどの町並みでもないが、道に面した家は改築をしてはいけない規則がある。
さて、この住宅街に住むマリーとアランは40代に再婚をしたカップルで、お互い3人の息子が居る。子供たちが学校へ通っていた頃はマリーの子供たちがこの家に住んだ。バカンスになるとマリーの子供たちは父親の家に行き、代わってアランの子供たちがこの家に来るというリズムだった。クリスマスなどで6人の男の子たちが一堂に会する時は、かなりうるさくはあるが雑魚寝で済ましていた。だが、子供たちは成長する。彼女ができ、独立し、結婚し、犬を飼い始め、さらにはあちこちで「おめでた」が始まると全員集合が困難になってきた。しかし、一般的にこの国ではクリスマスの家族全員集合は「なくてはならないもの」。ことさら、この家族のような「再構成家族」にとってはここぞ! とばかりに家族の絆を深める重要な日だ。 そこでマリーが目をつけたのがガレージだった。すでに子供たちがそれぞれ車を持つようになった頃から1台だけしか入らないガレージの意味は無くなり、食べ盛りの息子たちの食料品をストックする「食料倉庫」になっていた。その後、息子たちのアイデアで畳を敷き、フィットネス器具を入れて「スポーツルーム」となったが、6人の若者が場所を取り合いながら汗を流したのは1年にも満たなかった。埃をかぶり、鉢植え置きとなり下がっていたフィットネス器具をガレージセールで叩き売り、客室作りが始まった。 都合が良い事に、息子たちの中には左官工と電気屋がいるし、そういったプロでないとしても、フランス人で日曜大工がまったく出来ない男は珍しい。週末ごとに工事が進み黄色が基調のかわいらしい客室に仕上がった。名付けて「タンポポの間」。出世魚のようにその名前を変えて来たこのガレージ、表向きは何の変哲もないガレージのままである。この住宅街にはこんな「ガレージの顔をした別の何か」が実はたくさん隠れていると私は睨んでいる。 |