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ブリスベン大洪水被災リポート(1)浸水前夜まで

2011年3月30日

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写真:今日の画像はすべて洪水の数年前のもの。わが家のベランダからの朝焼け
拡大今日の画像はすべて洪水の数年前のもの。わが家のベランダからの朝焼け

写真:子どもの友だちが遊びに来たときは、やっぱりプール!拡大子どもの友だちが遊びに来たときは、やっぱりプール!

写真:七面鳥も遊びに来る。ちなみに「クリスマス前に七面鳥の数が減ったりしない?」とオーストラリア人に聞くと、「あれはまずくて食べられないよ」とのこと拡大七面鳥も遊びに来る。ちなみに「クリスマス前に七面鳥の数が減ったりしない?」とオーストラリア人に聞くと、「あれはまずくて食べられないよ」とのこと

写真:わが家から二キロ弱離れたところから始まる遊歩道。ここも水に浸かって、まだ立ち入り禁止だと思う拡大わが家から二キロ弱離れたところから始まる遊歩道。ここも水に浸かって、まだ立ち入り禁止だと思う

 今回から「ブリスベン大洪水被災リポート」を連載します。これは今年(2011年)1月に起きたオーストラリア・ブリスベンとその周辺の大洪水での、わが家の床上1メートルの被災体験と、清掃や復旧作業のリポートです。

 10回の予定で、じつは8回までの分は2月中に書き終えていて、3月16日から掲載する準備が整っていました。ところがその後、東日本大地震が起きました。

 その日のうちに、「津波と洪水という違いはあっても、床上浸水したことは同じ。とりあえず私が今、するべきことは、先に被災を体験した者として〈浸水後の後片づけでの注意点〉を知らせることだ」と考えて、慌てて2回分の原稿を書いて、差し替えてもらおうと思っていました。

 ただ、その翌日からテレビの映像などで、さらにくわしい状況がわかってきました。津波を受けた多く家屋の被害は「浸水」ではなく、「倒壊」でした。人の手による「片付け」どころではなく、重機による「撤去作業」が必要な状況でした。そのことに気づき、その2回分の原稿はボツにしました。

 今、被災者のみなさんのために、今、何ができるのか。被災地域以外に住んでいる多くの日本人と同様、私たち海外の日本人も何ができるのか、悩んでいます。

 もしかしたら、大洪水のリポートなど、いまさら場違いなのかもしれない。そんなことも考えました。わが家は8日停電し、2週間キッチンのガスコンロが使えず、給湯システムが復旧したのは3週間後でした。その間は結構長く感じましたが、でも東日本大地震で今なお避難所に暮らしている方々の大変さに比べたら、なんでもありません。それなのに、こんな能天気なことを書いていていいのか。全部ボツにしてくださいと、担当者にお願いしようかと思ったこともあります。

 ただ、今はこんな風に考えています。さまざまな「事例」を集めることは、長い目でみれば今後の被災者救護にきっと役立つはずです。そして、海外で大洪水に遭うという経験をした日本人はそう多くはいません。行政やボランティアの日本とオーストラリアの対処方法の違いなども、比較検討対象になると思うのです。

 ということで、「ブリスベン大洪水被災リポート」を始めます。

 私は思い出の品をいくつも捨てる羽目になりました。ただ、思い出をいっしょに語りあうことができる家族は全員無事です。家族や知人を亡くされたみなさんの心の痛みを思うと、どう声をかけていいのかわかりません。

 でも、生き残った人は、生き残れなかった人たちの分まで、生きなければいけません。それは志半ばにして無念にも亡くなられた方々への義務です。歯を食いしばって、がんばって、そして傷が癒えてからは犠牲になった方々の分まで愉しんで生きないとダメなのです。

 大地震と大津波に遭いました。でも……。日本は沈まない。Japan never sinks.

 私はそう信じています。

      *

 毎年恒例にしている年末年始の日本一時帰国を終え、私と17歳の長男と16歳の次男は1月10日月曜日にオーストラリアに戻ってきた。わが家から80キロほど離れたゴールドコーストでバレエの夏期集中レッスンを受けることになっていた12歳の長女と妻は、その前日だ。

 日本とオーストラリアのブリスベンでは1時間しか時差がないので、生活時間の調整が楽だ。ただし年末年始の移動だと真夏のオーストラリアから真冬の日本に行き、また真夏に戻ることになる。「時差」はまったくないが「季節差」はまるまる半年分ある。ちなみに意外に思われるかもしれないが、「夏から冬」の移動はたいして辛くない。しんどいのは「冬から夏」のほうだ。今回も夜間飛行の寝不足もあって、グロッギー状態。その日はほんの少し荷物の片づけをしたり、メールの返事を書いたりしただけで終わった。

「川の水位があがって、洪水がくるらしい」

 妻とそんな会話をしたが、まだまだ他人事というか、対岸の火事のような気がしていたのは、移動の疲れで頭がもうろうとしていたのかもしれない。

 翌11日になって、100キロほど上流のトゥウォンバ市周辺が、洪水でひどい状態になっていることを報道で知らされた。その時点では「死者8名、行方不明72名」とのことだ。

 わが家の前の道路はゆるやかな坂になっているが、昼過ぎに見に行ったときには100メートルほど下ったところから先が「沼」のようになっていた。ときどきサイクリングやジョギングにつかっていた道や公園が水没していた。

 私の住む地区も「洪水の恐れアリ」と指定され、「浸水を防ぐための土嚢を取りに来るように」という指示があった。ところが指定された場所に行くと、おそらく百台を越える車が長蛇の列。しかも一台の車に土嚢を何十も載せているためほとんど進まず、これでは受け取るまでに二、三時間かかりそう。他にするべきことを優先することにして、断念した。

 その「他にするべきこと」とは、「買い出し」だ。スーパーに行ったところ、こんな状況だった。

(1)ミネラルウオーターはすでにすべて売り切れ。ただし、発泡性のものはわずかに残っていた。昨年5月のアフガニスタンの洪水で「飲み水がなく疫病がはやった」と報道されたことが、大きく影響しているのだろう。

(2)パンもほぼ売り切れ状態。こういうとき、備蓄しやすい「米」がある日本人は強いかもしれない。パスタも同様に備蓄しやすいが、茹でるのに大量の水を使うので、災害のときには適していないかもしれない。

(3)キュウリやレタスなどの、生で食べる野菜もほぼ売り切れ。ただ、タマネギやジャガイモなどは残っていた。

(4)牛乳も売り切れ状態だった。

 その他のコーナーは、ほぼ普段どおり。たとえは変だが、「一部のコーナーだけ泥棒が入ったスーパーマーケット」のような状態だった。ちなみにガソリンスタンドも、脱出を図る車が多いのか、少し混雑していた。

 午後、集中豪雨があった。前日からゴールドコーストでのバレエの集中レッスンに通っている長女は、この日、友だちのおかあさんにいっしょに乗せていってもらったのだが、その人から「大雨で帰れないので、みんなでゴールドコーストの知人宅に泊めてもらう」と電話が入った。

 この時点では、着替えもなく見ず知らずの人の家に泊めてもらうことになった娘のことばかり心配していた。一応、パソコンや出版契約書など、1階の私の書斎にある大事なものは2階に運んだが、夜も普段通り寝た。

 「天災は忘れたころにやってくる」という言葉がある。だが、噴火や(地球の裏側からの)津波など、かなりの割合で「予知できる」ようになってきたものも多い。予知の精度も、これからますます上がっていくだろう。そして「やってくることが完全に予想できている」タイプの天災も多い。今回の洪水はまさにこのパターンだ。だが、今思っても、私はなんとものんびりとした反応だった。「ウチの子に限って」ではないが「ウチはだいじょうぶ」と過信する傾向が、人間にはあるのかもしれない。

 でも、その安心に根拠はない。誰にでも、天災に遭う危険はある。

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