ペルーは都市部と農村部の地域格差が激しい国だ。日本でもこうした問題が取り上げられて久しいが、ペルーの場合、上下水道はおろかいまだに電気のない村もある。首都リマや地方都市は経済活動が活発で雇用も生み出されているが、いくつかのアンデス農村部はこうした時代の流れから置き去りにされたままになっている。仕事を求めて農村から都市へ、特にリマへとやってくる人の波は今も絶えることがない。
こうした事情から地方出身者がたくさんいるリマだが、逆にリマから地方に移り住むケースを私はほとんど聞いたことがない。また、地方出身者が故郷に戻ることはあっても、都会生まれ・都会育ちの人が縁もゆかりもないない土地に移住する、いわゆる「Iターン」は今のペルーではなかなか起こり得ないのが実情である。
そんな中、以前お世話になったあるロッジのオーナーはかなり異色な存在だった。旅先で訪れたアンデスの景色、そのあまりの美しさに心を奪われたリマ育ちの日系人姉妹が、そこに自分たちの理想の宿を造りたいと思い立ち、クスコ郊外の山村に引っ越してしまったのだ。
私が宿泊したのは、まだそのロッジがオープンして間もないころ。敷地内の一部は工事中で、庭の隅にはリマからわざわざ運んできた貴重な建築資材が野ざらしになっていた。姉は「田舎の人はのんびりしていて、ぜんぜん働かないのよ」と文句を言っていたが、日干しレンガの家しか建てたことのない地元の職人にとって、都会から突然やってきた見知らぬ隣人の注文をこなすのはさぞや難儀なことであったろう。
また妹も「信用できる人がなかなか見つからず、従業員が確保できない」とぼやいていた。地方では、3〜4世代も遡れば住人のほとんどが「親戚」になってしまう村も多い。特にアンデスの人々は地元の結束が固く、村人も彼女たちが信用に足る人物かどうか見極めようとしていたに違いない。
あれから数年。インターネット上には、このロッジのレビューがいくつも掲載されているが、その評価は高く、好意的なコメントがほとんどだ。「女性オーナーのサービスが素晴らしかった」という書き込みもあった。きっといい働き手も見つかったのだろう。久しぶりに、あの姉妹の笑顔を思い出した。
またいつか、あの山村を訪れてみたい。彼女たちの笑顔と当時の苦労話を肴に、今度は一緒に飲めたらと思っている。