地震対策に古い木造住宅の耐震補強が大切なことは誰もがわかっている。火災の減少や緊急車両の通路確保などにも役に立つ。それなのになかなか進まない。そこには、効果が実感しにくいという事情も見える。耐震補強で「勝ち組」になるにはどうすればいいのか。
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三つの業者に自宅の耐震診断を頼んだところ、全く違う結果が出た人がいる。
東海地震の想定震源域に入る静岡県湖西市に住み、災害ボランティア「0(ゼロ)そんがい」を主宰する前田展雄さん(65)だ。自宅は1976年築、延べ床面積約120平方メートルの木造2階建て。
兵庫県西宮市に実家がある前田さんは、95年の阪神・淡路大震災で義姉を亡くし、防災に目覚めた。まず屋根を昔の瓦から軽い合成瓦に変えた。そして、耐震診断を受けることにした。
最初は2002年1月、自治体を通した無料診断。派遣されてきた診断士は、全国的に使われている「日本建築防災協会」の評価方法で調べた。
この評価方法は、耐震性のある壁の分量、地盤や基礎の良しあしなどを目で見て調べて、項目ごとに評点を出す。総合評点が1.5以上なら「安全」、1.0〜1.5は「一応安全」、0.7〜1.0は「やや危険」、0.7未満は「倒壊または大破壊の危険」の4段階だ。1.0未満の家には、補強をして1.0以上にすることを勧めている(昨年7月、より精密な診断方法に改訂)。
結果は0.79、「やや危険」だった。ところが翌年10月、静岡県内の講演会で知った東京の業者に同じ診断を受けると、0.3。さらに翌年2月、県内の業者に頼むと、家を震度1程度に揺らし、揺れ方を解析して安全性を測った。結果は「震度7でも一応安全」だった。
「よくない話ですが、いっそのこと東海地震が来て、実際にどうなるか見てやりたいと思った。客観的に測れる検査システムを国が確立できないのでしょうか」
と前田さんは話す。今のところ、補強工事はしていないという。
耐震診断は、人間で言えば、病気の診察だ。正しい見立てが得られなければ的確な治療に結びつかない。耐震補強が、地震対策に重要だと言われつつも広がらないのは、リフォームと違い、実態や効果が見えにくいからではないだろうか。
全国に先駆けて95年から無料診断を始めたのは横浜市。診断の対象は、81年に定められた新耐震基準以前の木造住宅だ。
市民の申し込みがあれば市の建築事務所協会から診断士を派遣する。診断士は冒頭に触れた評価方法で診断する。その結果、評点が0.7未満の住宅には、市の登録業者に発注すれば、補強費用を上限500万円まで補助する。
静岡県もほぼ同じシステムだが、こちらの補助金は評点1.0未満の住宅が対象で、上限30万円。高齢者のみが居住する住宅では、20万円の割り増しがある。
こうした自治体を通した診断は、耐震補強の第一歩としては入りやすい。だが、盲点を指摘する声もある。
『地震に強い家に住みたい』(暮しの手帖社)などの著書があり、建築家などで作る「既存建物耐震補強研究会」代表の保坂貴司さんが話す。
「無料診断は、自治体が税金を使うという性格上、原則として、違反建築の家は対象にしていません。しかし、私の経験では、木造住宅には建ぺい率がオーバーしているなど違反建築が目立つのです。耐震診断が必要な家に届いていない。また、評点方式だと、具体的にどこをどう直せばいいのかがわかりにくい」
建築業界関係者も言う。
「無料診断にはふつう建築士が行くが、自治体によっては報酬は数万円で、安すぎる。事前の準備から報告書の作成まで考えると、10万はもらわないとビジネスにならない。渋々やっている建築士もいます」
特殊な金具だけ勧める業者注意
こんなデータもある。
静岡県が、03年に県の補助金を受けて耐震補強工事をした約800世帯を対象に行った調査。市町村を通じたあくまで参考程度の調査というが、これを見ると、1平方メートルの工事費が10万円以上でも評点が0.5しか上がらない例がある一方で、2万円以下で1.5上がるケースもある。工事費をかけるほど評点がアップするとは言い切れないのだ。
このデータに着目した兵庫県創設の「人と防災未来センター」の永松伸吾研究員はこう指摘する。
「耐震補強では家の工法、設計図の有無、立地条件など、さまざまな要素が価格に反映する。だから、単純に、いくらかければいくら評点が上がるとは言いにくい。しかも、評点が上がっても数字だけでは、本当に地震に強くなったのかわからない。地震が起きてみないと確認できないのです」
たしかに、補助を受けた耐震補強の平均工事費は、横浜市が約515万円なのに対し、静岡県は約170万円と3倍も違う。全国の工務店などで作る日本木造住宅耐震補強事業者協同組合(木耐協)の調べでは、約120万円とさらに安い。
「耐震補強の市場はまだ未成熟。そこに悪徳リフォームが入る余地がある」(木耐協の西生建事務局長)
という側面もあるのかもしれない。
欠陥住宅問題などに取り組んでいるNPO法人「建築Gメンの会」理事長の大川照夫さんが話す。
「補強の基本は壁を強くすることなのに、床下と天井裏に金物(金具)を50個付けて100万円を請求された例もある。オリジナル金物などと称して特殊な金物を勧める業者は要注意です」
では、悪徳業者に引っかからずに「勝ち組」になるにはどうしたらいいのか。
大川さんが言う。
「第一歩として、自治体を通した診断を受けてみることはいいでしょう。自分で業者を選ぶときには、耐震診断、補強工事ともに経験が豊富で、オーソドックスな工法を勧めるところがいいと思う。見落とせないのは基礎の補強。増築などで基礎が足りなくなっているケースがあるが、足元がしっかりしていないと壁を強くしても効果が減ります」
先の保坂さんも足元を重視する。
「耐震性は家の地盤に左右される。私は、古地図や地盤図などで確認してから調査に行くが、地盤の調査が不十分な業者が少なくない。きちんとやってもらうことが大切です。また、壁を強くする前に、土台が腐っていないかなど住宅の劣化対策も忘れてはいけない」
診断も手がける個人向け不動産コンサルティング「さくら事務所」の主席コンサルタント、神尾和秀さんは、こんな見方だ。
「悪徳業者はほぼ100%訪問型。補強を考えている人は、電話帳などで探して、デザインではなく構造の設計事務所に設計図を持っていくなど、自分から能動的に動くことが大切です」
耐震補強というと、地震が来なければ無駄な投資に終わるなどと考えてしまいがちだ。特殊な工事と思われがちでもある。しかし、神尾さんは、
「リフォームのときが補強のチャンスなんです。たとえば、風呂場をリニューアルするとともに、壁に筋交いや合板を入れて強くするなどすれば、快適性と耐震性が同時に上がる」
と話す。リフォームと耐震補強のリンクを勧める言葉は、今回の取材で複数の人から聞いた。結局は、
「本を2、3冊読んで知識を持っていれば、悪徳業者のセールストークの嘘も見破れる」(保坂さん)
など、成功の秘訣は心構えにかかっているようだ。
日本建築防災協会の杉山義孝専務理事もこう話す。
「たとえば300万円あって、耐震補強に使うか、新車を買うか、家族旅行に行くか。それは選択の問題です。でも、家が壊れて家族を失うことの大きさを思えば、耐震補強は費用対効果で考えるものではないと思います。命に対してどこまで真摯になれるのか。価値観が問われているのです」
杉山さんはそのうえで、
「耐震診断・補強は、地域に定着し、信頼されている業者に頼むことです。地元で仕事を続ける業者はいい加減なことはできません」
とアドバイスする。
住宅は長く使う、発想の転換必要
ところで、木耐協が02年7月から今年6月までの3年間に行った耐震診断の結果では、一般に安全とされている81年以降の木造住宅でも、評点1.0未満の家が約6割に上った。木耐協の西生事務局長は、
「相対的には81年以前の住宅の対策が急がれるが、新しい家でも耐震診断の必要性は高い」
と見る。保坂さんも、
「1階が半地下の車庫になっている家は、耐震性が足りないことが多い。吹き抜けのある家も、フタのない箱と同じで弱い。手抜き工事も含めて、81年以降でも危険な家は少なくない」
と話す。
国土交通省の調べでは、全国の住宅総数は4700万戸(木造住宅は2450万戸)。うち耐震性に問題があるのは1150万戸(同1000万戸)で、全体の25%に当たる。同省はこれを補強や建て替えで、10年後に10%に減らす目標を立てているが、現状の2〜3倍のペースで補強が進まないと実現できない。
こうしたなかで、静岡県では、新聞広告やテレビCMで宣伝したり、全戸にチラシを配ってアピールしている。今年は補強工事の申請が昨年より2〜3割伸びているという。
また日本一人口密度が高く木造住宅も多い東京都中野区は、今年8月から、区内の古い住宅4万戸への職員によるローラー作戦を開始した。12月からは民間委託し、来年度中にすべて回る計画という。
「身分証を見せるところから始めています。無料診断につながった例も増えつつある」(中野区都市整備部)
中野区ではほかにも、予算がない人向けに、住宅金融公庫を利用すれば、死亡時に資産や生命保険などで返却することを条件に500万円まで融資する仕組みを作った。また、木造アパートを対象に、区の登録業者が補強工事を行ってから10年以内に震度6強以下の地震で全壊したら、補強費用や建物の評価額相当分を助成する制度を検討するなど、あの手この手で耐震化率を上げようとしている。
だが、こうした自治体の努力だけでは限界があるのも事実だろう。
前出の「人と防災未来センター」の永松さんは、
「住宅を消耗品と考えるのではなく、欧米並みに長く使おうとすれば、おのずと耐震補強も広がるでしょう。地震に強いことが住宅の基本的な性能になる。発想の転換が必要です」
と語る。
また、目黒公郎・東大教授(都市震災軽減工学)は「自助、公助、共助」という概念を提示する。
目黒教授によると、阪神・淡路大震災で、行政は、がれき処理や仮設住宅の建設などを含めると、全壊世帯に1世帯あたり1000万円以上の公費を使った。耐震化が広がれば建物被害が減るので、あらかじめ自前で耐震化していた(自助)のに全壊した世帯に1000万円以上ずつ支援してもトータルの出費は減る。これが公助だ。
一方、耐震補強を実践した人を対象に全国区での共済を新たに作る。これが共助。大地震が起きても、耐震化した家が被災する確率は全国で補強をした家全体の数百分の1にすぎない。そこから試算すると、たとえば東海地震の場合、補強工事時に約2万円積み立てれば、全壊時に1000万円の支援を受けられるという。
目黒教授はこう話す。
「行政が補強に巨額の資金を用意することも、被災者に手厚い支援をすることも、財政的な問題を抱えている。トルコでは耐震化が進んでいない。被災者に政府が家を建ててくれるからで、これは落とし穴。だからこそ、公助と共助が自助を導く仕組みが重要なのです」
(週刊朝日・中村智志)