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130 朝日新聞
朝日新聞創刊130周年記念事業
- 朝日新聞 2008年6月30日掲載 -

明治・大正期の記事は…五輪・中学野球、こう伝えた

 この夏、多くのみなさんが夢中になるスポーツイベントが二つあります。オリンピック第29回北京大会と第90回全国高校野球選手権記念大会です。近代五輪は1896(明治29)年に、今の高校野球にあたる中学野球は1915(大正4)年に始まりました。大正末にようやくラジオ放送が始まった時代に、ニュースを伝えるのはもっぱら新聞でした。そのころの五輪と中学野球はどのように報じられていたのでしょうか。朝日新聞は創刊130周年記念事業の一つとして明治・大正期紙面のデータベースづくりを進めています。それらの紙面から明治末~大正のスポーツワールドをちょっとのぞいてみましょう。(福井仁)
 〈引用文は、漢字の字体と変体仮名を改めた以外は原文のまま〉

中学野球

「薄曇りの空烈日の照射を遮りて絶好の野球日和なり」(1915年8月19日付)

第1次大戦中に開幕

写真
1915(大正4)年7月1日付紙面に載った
全国中学野球大会開催のお知らせ

 中学野球(高校野球)は、新聞紙面でいえば1915(大正4)年7月1日、大阪朝日新聞の1面に載った読者へのお知らせが原点だ。
 「本社主催全国優勝野球大会」を8月中旬に大阪の豊中球場で開くと宣言した。日本も参戦した第1次世界大戦の最中だった。お知らせの周りは「仏飛行機襲独」「英国も徴兵制度か」「独墺(おう)軍損害七十万」といった戦争報道が占める。一方で、夏目漱石は「道草」を連載していた。
 8月18日に始まる大会に参加したのは10の地方代表校。開幕試合は午前8時半に始まった広島中対鳥取中だった。
 「本社主催の全国優勝野球大会は予定の如く十八日豊中グラウンドに於て其(そ)の第一日を挙行せり薄曇りの空烈日の照射を遮りて絶好の野球日和なり」「両軍選手ボツクスを挟んで相対し大会規定の礼を行ひ続いて村山本社長荒木審判長より球を受けとりて始球式を挙げ」(19日付)
 球場には猛暑の中、連日多くの観衆が詰めかけた。「観衆はグラウンドへグラウンドへと奔注(ほんちゅう)して来る夫(そ)れが来賓席を塞(ふさ)ぎ、幾つかの天幕(テント)に溢(あふ)れ、葭簀の下を埋め」「氷付きサイダー一本十銭といふのやハンカチ付カチワリ五銭といつたやうな奇抜なのが忽(たちま)ち人気を呼んで見る間に売れて了つた」(19日付)
 決勝は23日、京都二中が延長13回裏、1死二塁から敵失の間に決勝点を奪って2対1で秋田中を振り切った。
 「京二中亦(また)先頭の打者大場中堅に飛球を呈し野手の失に生きて二塁を盗み後続の綾木はフワウルに死せしも津田の二塁直球を秋田の二塁手斎藤ワンバウンドにて取り一塁に投ぜしを一塁手信太のフワンブルせし隙(すき)に大場疾駆して本塁に殺到し一点を奪う」(24日付)
 記事には「フオースアウト」「フワインプレー」「タイムリーヒツト」「ヒツトエンドラン」「サイン」など、今でも使う用語が見られる。
 24日、京都二中チームは京都駅からパレードをした。「六台の花自動車に楽隊選手及び歓迎者同乗し……烏丸四条通の交差点はギツシリの人で自動車の動きも取れない……一時電車の交通も止まつた」(25日付)。大会は第1回から今と変わらない盛り上がりだった。

「その設備は完全無欠といはれてゐる」(1924年8月1日付)

阪神甲子園球場が完成

 阪神甲子園球場は1924(大正13)年から会場になった。8月1日に完成し、総収容人員8万人、座席は5万席(現在は約4万6千席)だったという。内野席の上の鉄傘(今の銀傘)は同じだが、アルプススタンドはなかった。
 「その設備は完全無欠といはれてゐる……東洋一は勿論(もちろん)、ヤンキースタヂアム及びポログラウンド(ニューヨーク州にあった球場)にも比すべき世界屈指の大競技場である」(8月1日付)  真新しい球場で同年8月13日、第10回大会が始まった。上空に10機の飛行機が飛び、始球式のボールを投下した。
 「精鋭飛行士が縦横無尽に快翔(かいしょう)し観衆狂喜して拍手を送る、米国のポログラウンドを見て来た洋行戻りの紳士の妻女『ネあなた、アメリカの本場だつてこんなに美しい気持のよいのは見られないでせう』」(14日付)
 老朽化が進んだ甲子園球場では現在大がかりなリニューアル工事が進められている。

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