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130 朝日新聞
朝日新聞創刊130周年記念事業
- 朝日新聞 2008年11月29日掲載 -

オレオレ詐欺、大正にも 思わず「へえー」、明治・大正期の新聞記事・広告

 明治・大正時代の新聞には、「へえー」と感じる面白い記事や珍しい広告がたくさん出てきます。新聞は、歴史の教科書にはまず出てこない世の中の動き、人の生き方が詰まった資料の宝庫でもあるのです。朝日新聞の創刊130周年記念事業の一つとして取り組んでいる明治・大正期紙面データベースづくりの作業の中から、そうした記事、広告をいくつか拾ってみました。(福井仁)
 (引用文は、漢字の字体、変体仮名、表現などを現代表記に改めました。原文の味わいは添付の写真でお確かめください)

偽装

「名士の家に声色を使い、ずうずうしい電話詐欺」 治療費と称したニセ電報も

振り込め詐欺、オレオレ詐欺の被害が続くが、似た犯罪は大正からあった。
「どこかおかしい主人の話し方 名士の家に声色を使い ずうずうしい電話詐欺」
(1925〈大正14〉年4月30日付)

 29日の朝、横浜市幹部の家に本人の声色を使う電話がかかった。「留守番の家政婦に、人を出すのでたんすの引き出しにある財布を渡してくれ」と言った。しかし、たんすの中に財布はなかった。まもなく男が訪ねてきた。「財布はないと答えると帰っていったが、あとで詐欺とわかった」
 近くの会社員宅にも本人と名乗る電話があり、妻に「社用で神戸に出張するから車屋に横浜駅まで50円届けさせろ」と言った。「声が違うので偽者とわかった。どちらの事件も届け出を受けた戸部署が犯人を捜している」という。
 「学生の実家に大けがというニセ電報 治療費と称して詐欺」(1926〈大正15〉年2月9日付)は電報と為替を使った犯行だ。
 東京に息子を勉学に出した高知県の親元に、「大けがをして入院中なので費用150円を送れ」という電報が来た。実家は50円を郵便局留めの電報為替で送った。数日後さらに送金を求める電報が入った。「あやしいと思い家族が上京……息子を訪ねて初めて偽電詐欺にひっかかったことがわかり」、同郷の少年が検挙された。

「ほかの村の米に粟生村米という名前」

 今年何度もニュースになった食品の偽装、不正は今に始まったことではない。
 酒米産地として知られた大阪・粟生(あお)村の総代が1887(明治20)年11月26日付紙面に「酒造商へご注意」という広告を載せた。
 粟生米の生産高は年に2千石ほどなのに、近年その4倍くらいの粟生米が出回っている。それは「ほかの村の米に粟生村米という名前を付けた名札を偽造」しているからだとして、今年の粟生米を売った酒造業者と石高を列記した。
 1888(明治21)年1月18日付の「大阪食糧米のこと」という記事は、精米の中に砂や陶器の粉を混ぜる偽装を伝える。「精米をする時に磨き砂や陶器の破片を粉にしたものを混ぜるといったことをして……米を白く見せて、分量を多くする不正が生まれたようだ」
 大正には東京で腐敗肉が摘発された。
 「始めて驚いた 腐敗肉検査 不正商告発される」(1922〈大正11〉年8月23日付夕刊)。腐った肉を混ぜた食肉が出回ったことから警視庁が千を超す業者を検査したところ、120件の腐敗肉販売が見つかった。そのほか、中国から輸入した青島肉と内地肉を混ぜて売ったなど違反が1050件あったという。

女性

「あなたに永久の別れを告げます」 白蓮、紙面で公開絶縁状

写真
柳原白蓮の「失跡」を伝える記事。下の写真が後の夫となる宮崎龍介。翌日付の紙面に、夫への別れの手紙が載った(1921〈大正10〉年10月22日付紙面から)

 大正天皇のいとこで「筑紫の女王」と呼ばれた歌人柳原白蓮=あき子(あきこ)(36)が、夫伊藤伝右衛門にあてた別れの手紙が朝日新聞に載った。
 「伝右衛門氏へ あき子最後の手紙 つらい過去を振り返って 涙でつづった悲痛な告白」(1921〈大正10〉年10月23日付)。夕刊2面のトップ記事だった。夫は九州一の炭坑王といわれ、52歳で27歳のあき子を妻にした。
「結婚したばかりのころから、あなたと私との間には愛と理解がありませんでした……私には愛する人ができ、その愛によつて復活しようとしています……金力で女性の人格的尊厳を無視するあなたに永久の別れを告げます」
 白蓮の相手は弁護士で7歳下の宮崎龍介といい、その後結婚して終生をともにした。

 

篤姫死去の報、2面の欄外に

 NHK大河ドラマ「篤姫」のモデルの天璋院は1883(明治16)年11月20日に48歳で死亡した。訃報(ふほう)が22日付大阪朝日新聞の2面欄外にある。
 「昨日午後9時、東京からの通信があった。徳川天璋院は脳卒中のため、20日午前8時に亡くなったという」。電報が新聞印刷中に入り、急いで突っ込んだ至急報で、23日付に再掲載した。
 鹿鳴館が開館した直後の12月5日、上野の寛永寺で盛大な葬式があった。「旧将軍家夫人のお葬式の例に準じ……会葬の人々はおよそ3千人余」(8日付)

 

明治末に女性専用車両

 明治末、東京に女性専用車両があった。1912(明治45)年1月28日付の「婦人専用電車 不良少年の誘惑予防」という見出しの記事。
 「花電車を狙う このごろの不良学生は、山手線沿線から市内の女学校に通う女子学生が、みんな同じ時間に乗車するのをいいことに、ラッシュに紛れてラブレターを渡したり、うまいことを言って誘惑したりする。女子学生の体に接触し、美しい姿を見るのを楽しみとする風潮もある。彼らは女子学生でいっぱいの電車を『花電車』と呼ぶ」
 女子学生に近寄る「不良学生」を何とかしようと発案された電車だ。鉄道担当者の「日本ではこれが最初」という言葉も載っている。
 電車は1月31日から中央線中野―昌平橋(今の御茶ノ水―神田間にあった駅)間を、午前8時半前後と午後3時半前後に走った。2両編成のうち1両を女性専用とした。
 7月19日付の記事は、半年たった女性専用車両の様子を報じた。「女子学生だけが乗るので、おしゃれな服装を競い合い、普通の服装の女子学生は普通車に乗るといった弊害もあった。しかし、最近はとてもうまくいっている」

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