• TOP
  • 明治・大正データベース
130 朝日新聞
朝日新聞創刊130周年記念事業
- 朝日新聞 2008年11月29日掲載 -

オレオレ詐欺、大正にも 思わず「へえー」、明治・大正期の新聞記事・広告

 明治・大正時代の新聞には、「へえー」と感じる面白い記事や珍しい広告がたくさん出てきます。新聞は、歴史の教科書にはまず出てこない世の中の動き、人の生き方が詰まった資料の宝庫でもあるのです。朝日新聞の創刊130周年記念事業の一つとして取り組んでいる明治・大正期紙面データベースづくりの作業の中から、そうした記事、広告をいくつか拾ってみました。(福井仁)
 (引用文は、漢字の字体、変体仮名、表現などを現代表記に改めました。原文の味わいは添付の写真でお確かめください)

くらし

クリスマスはいつ登場?

写真
明治末になると、広告にはサンタクロースの絵が登場した(1906〈明治39〉年12月24日付紙面から)

 本来はキリスト誕生を祝うクリスマスが、日本のくらしの中で盛んになったのはいつごろだろうか。
 朝日新聞創刊の年、1879(明治12)年の12月4日付にこんな記事がある。
「25日は耶蘇(やそ)の大祭日なので信者を川口天主堂に集めて行事をする」。クリスマス(耶蘇の大祭日)を報じた最も古い記事の一つだ。
 1892(明治25)年、東京の菓子店壺屋が「クリスマスお菓子」と銘打ってボンボン、フロンケーキなどの広告を載せた。ここに「クリスマス」という言葉が現れた。
 記事に「クリスマス」が出るのは1899(明治32)年。「今日はキリスト降誕の祝祭日基督萬壽(クリスマス)だが……」(12月25日付)。記事はクリスマスツリーのことを「クリスマス吊」と書いている。
 東京・銀座のクリスマス飾りは明治屋が始まりといわれる。日露戦争の最中でもその飾りはきらびやかだった。
 「キリンビール明治屋では例年の通り一昨日の15日からクリスマス飾りをして……ものすごくきらびやかで、店に入った人は欧米に来たような気がするにちがいない」(1904〈明治37〉年12月17日付)。
 大正になると、飾り付けをしたり、プレゼントを贈ったりするクリスマスが年末行事として根付く。
 1915(大正4)年12月20日付の記事は「お歳暮はもうありきたり…クリスマスプレゼントの方が新しいと喜ばれている」と書いた。
 関東大震災直後の1923(大正12)年12月には「中程度以下だが 飛ぶ様に売れるクリスマスの贈り物 震災もけろりと忘れて」という見出しで「歳末の行事クリスマスが近づいて、大通りの多くの店ではクリスマスデコレーションに忙しくなつた」(21日付夕刊)という記事がある。

国際化

ヨーロッパ人、力士に

 大正にヨーロッパ人力士がいた。
 「外人の相撲志願」(1913〈大正2〉年12月5日付)。ブロンク・ホーストというドイツ人(第2報ではオーストリア人)の21歳の拳闘家が友綱部屋に入門した。体重94キロ、身長179センチで、世界旅行で日本に来て相撲に興味を持ったという。12月29日付には「(横綱)太刀山を2度転がした」という自慢話がある。
 「ホーストが力士になってからというもの、外国人の相撲熱はいっそう盛んになり、次々にけいこ場を見物にくる」(12月30日付)。しかしその後、ホーストの記事は見えない。
 相撲博物館によると、ロサンゼルス出身の日系2世平賀が1934(昭和9)年の番付に載った。これが公式の外国人力士第1号だという。

 

小田原に金髪芸者

 「金髪芸者」という見出しに和服姿。1923(大正12)年8月1日付に、アメリカ人の「金髪美人」キング・メリー(25)が神奈川県の小田原署に芸者として認められたという記事がある。
 資産家の令嬢だったが、結婚を考えていた青年が病死したことを悲観して身を持ち崩し、1年前に1人で日本に来て芸者になった。「小田原花柳界今鈴」から小田原署に願い出た。
 1カ月後、関東大震災が起こった。震源に近い小田原は家屋のほとんどが倒壊した。

有料記事データベースのお問い合わせ
朝日新聞社 法人営業部

電話でのお問い合わせ

03-5541-8689
(土日祝日・年末年始を除く月曜~金曜 10:00~18:00)

PAGE TOP