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130 朝日新聞
朝日新聞創刊130周年記念事業
- 朝日新聞 2009年09月30日掲載 -

スペイン風邪拡大 刻々と

 大正時代中期に全世界を襲ったスペイン風邪は、人類が初めて経験した新型インフルエンザの爆発的流行といわれます。これまでのところ、スペイン風邪を上回るインフルエンザの大流行は過去には知られていません。日本でも数十万人が命を落としました。史上最悪のインフルエンザに直面した大正の人々は、正体不明の相手とどう闘ったのでしょうか。2010年春に完成する朝日新聞の明治・大正期紙面データベースには、スペイン風邪の記事がたくさん載っています。(福井仁)
 (引用文は、漢字の字体、表現などを現代表記に改めました)

力士、次々倒れる(1918年5月)

 国内では、1918(大正7)年秋から大流行したスペイン風邪が、いつやってきたのかは分からない。この年の春、アメリカで流行が始まった直後、力士の間に「相撲風邪」がはやった。大流行より半年も早いが、ウイルスが凶暴化する前の「先触れ」だったのではないか、とも言われる。
 18年5月8日付の新聞は「流行する相撲風邪――力士枕を並べて倒れる」という見出しで、「力士仲間にたちの悪い風邪がはやり始めた。太刀山部屋などは18人が枕を並べて寝ていた。友綱部屋では10人くらいがゴロゴロしている」と伝える。花形力士の欠場続出で番付も組み替えられた。

学校・軍隊で流行(18年10月)

写真
「口覆(マスク)を着けて通学する東京の女学生」という説明が付いた新聞写真(1920年1月12日付)

 1918(大正7)年、富山から始まった米騒動が落ち着いた秋、スペイン風邪があちこちでおこった。ウイルスが一斉蜂起するような広がりだった。
 「(福井の)鯖江第36連隊の流行感冒患者は200余人になり、連隊は外出や面会を一切禁止した」(10月4日付)
 「愛媛県大洲町で流行感冒が大流行し、600人の患者がいる。中学校と高等女学校の多数がかかり、1週間、39度から40度の熱が出た。患者は10歳以上30歳以下に多い」(10月16日付)
 「最近東京を襲った感冒はますます流行し、どの学校でも数人から数十人が休んでいる」(10月24日付)
 若い世代が集まる軍隊と学校が病気の温床だった。ウイルスは、免疫という防御手段を持たない人々に広がり、手が着けられなくなった。

島村抱月が死亡(18年11月)

 流行の全期間を通じてもっとも死者が多かった月が1918(大正7)年11月。中でも、評論家で劇作家の島村抱月(47)の死亡は大きなニュースになった。愛人の女優松井須磨子(32)の後追い自殺も話題を呼んだ。
 抱月は10月29日にスペイン風邪にかかった。「11月4日朝、病状が急によくなり、『気分がよい』と元気に話すまでになったが、夜に再び発熱してしきりにたんを吐き、急性肺炎を併発して、5日午前2時に死去した」(11月6日付)。舞台のけいこ中で、臨終に間に合わなかった須磨子は「私も同じ感冒にかかり、先生の手厚い看護を受けてよくなった。先生には十分な看護が出来なかった」(同)と悔やんだ。
 命日に当たる2カ月後の19年1月5日。須磨子は抱月の死去した場所で自殺した。

 

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