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130 朝日新聞
朝日新聞創刊130周年記念事業
- 朝日新聞 2009年12月03日掲載 -

 朝日新聞の明治・大正期紙面データベースは来年3月の完成を目指して、点検などの最終段階に入りました。この機会に、明治・大正の新聞に改めて脚光を当てようという展覧会を、東京大学明治新聞雑誌文庫との共催で、11月9日から20日まで朝日新聞東京本社で開きました。期間中には、作家荒俣宏さん、東大教授苅部直さんの講演もありました。2人のお話の要旨を紹介します。(福井仁)
 (引用文は、漢字の字体、表現などを現代表記に改めました)

新聞は日本語の歴史の見本 世界や歴史の見方、変わるかもしれない――荒俣宏氏

講演・プレ「帝都物語」の時代――新聞で読む「明治」

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あらまた・ひろし 作家、博物学者。1947年生まれ。主な著書に「帝都物語」「世界大博物図鑑」
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ドイツの宰相ビスマルクの絵が強い印象を放った「毒滅」の広告(1900年6月17日付)
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荒俣さんが「文字、レイアウトともに読みやすくなった」という小説(1905年11月15日付)

 日清戦争前から日露戦争までの20年間の朝日新聞をデータベースで読んだ。新聞紙上をたどるだけで、その時代を早回ししているように実感できた。これは知の埋蔵金だ。掘り起こせば、小説の百や二百は書けるだろう。
 その20年間に、文化のシステムや方式が大きく変わった。我々が普段使っている日本的なシステム――言葉を書くとか、日々の実感や感覚、面白いことを楽しむシステムはこのころ出来たらしい。新聞は日本語の歴史の見本であることもわかった。

 1888(明治21)年創刊の東京朝日新聞の1面は、ずっと電報を使ったホットな記事だった。しかし、日露戦争後の1905(明治38)年になると、これがすべて広告になる。日露戦争の報道で経営が苦しくなったのと、当時の各企業が全面広告を競うように出したからだ。

 面白い広告がたくさんある。毒滅という梅毒治療薬は森下仁丹の前身の森下南陽堂が売り出した。それまでの事業は失敗続きだったが、家財を売り払って毒滅の全面広告を出し、ビッグヒットを放った。その会社が今はどうなっているのかが分かっているから、広告は面白い。
 第3面には、朝日が力を入れていた連載小説が載っている。東京朝日創刊から日露戦争までの間に文字、レイアウトはものすごく読みやすくなるが、特に、言文一致運動を背景とした小説が読みやすい。現代と同じように、活字で刷られた後のイメージを考える作家が出てきたからだ。二葉亭四迷、夏目漱石、石川啄木といった後の有力な作家や詩人は、新聞社で仕事をして新しいタイプの日本語を世に送り出していった。
 ただ、4面の経済欄などの報道は創刊からのスタイルそのままだ。小説やルポルタージュを書く人たちと、硬い記事を書く人たちとの違いがずいぶんと大きい。
 大変革をとげた新聞のポリシーを私なりにまとめると次の4点になる。(1)御用新聞から独立して、公平無私に立つ(2)大新聞(主義狭隘〈きょうあい〉、文字窮屈、難解絵なし)と小新聞(主義野卑、文字わいせつ、平易絵入り)の要素を統合して、高等な絵入り新聞を目指す(3)世界に雄飛する国民をまとめ、尚武の心を増進させる(4)紙面を刷新し、新たに平易な日本語をつくる。
 では、大変革のあった新聞の背景で、リアルタイムでどんなことが起こっていたか。
 日清から日露戦争までの間の戦争の背景は、一連の流れとして理解できることが分かった。朝鮮半島を支配するのは清か、日本か、ロシアかということだ
 一連の流れの中で、大きな事件の一つが金玉均暗殺事件だった。金は日本の近代化を評価し、1884年、朝鮮でも同じことをしようと、クーデターを起こした(甲申事変)。宗主国の清は怒って兵隊を出したが、日本は戦争をする前に腰砕けになり、朝鮮は清の支配下に落ちた。  金は日本に約10年間亡命した。しかし、日本はかばいきれなくなり、国外に出した。1894年、金は上海で暗殺された。日本では人気があり、新聞もサポートしたが、政府はみすみす暗殺を許した格好になった。

 金玉均暗殺の少し前、1891年には大津事件があった。日本に遊びに来たロシアの皇太子ニコライ(後のニコライ2世)を国を挙げてもてなそうとした。ところが、警備の巡査がサーベルで皇太子に切り掛かった。大国ロシアを怒らせたら大変だと日本中が震え上がった。政府は巡査の狂気として処理しようと考え、死刑にしようとしたが出来なかった。朝日は「失態また失態」と書いた。
 弱い日本が、ロシアと戦おうと思うきっかけが日清戦争だった。この戦争もやりたくなかったようだが、世論に押されて開戦したら、勝利できた。これで領土と巨額な賠償金がとれたので、ロシアとの戦争も挑戦に値すると判断された。こういう動きは新聞を通しで読むとよく分かる。
 戦争のハイライトが日本海海戦。その勝利を伝える記事(5月30日付)がある。「大海戦 大勝利 敵殲滅(せんめつ)」という見出しで、有名な「天気晴朗なれども波高し」という至急電も載っている。
 日本はポーツマス会議で、甘い条件の講和を結んだ。ところが、賠償金をとらないことが国民を怒らせた。次々に抗議集会が開かれて暴動となり、9月6日に戒厳令がしかれた。講和に不満だった朝日新聞も発行停止になった。
 こういう記事が山のように積まれたデータベースは、巨大な宝物庫といえる。掘れば掘るほど歴史の埋蔵金がざくざく出てくる。明治や大正の日本人の追体験ができるし、世界や歴史の見方が変わってくるかもしれない。
(11月9日、浜離宮朝日ホールで)

■荒俣宏さん講演関連年表

西暦 明治 主な出来事
1879 12 大阪で朝日新聞創刊
1983 16 鹿鳴館開館
1884 17 朝鮮で甲申事変
1885 18 第1次伊藤博文内閣
1887 20 二葉亭四迷が「浮雲」刊行
1888 21 東京で朝日新聞創刊
1889 22 大日本帝国憲法発布
1890 23 第1回総選挙、第1回帝国議会
1891 24 大津事件
1894 27 金玉均暗殺、日清戦争
1895 28 下関条約調印、三国干渉
1902 35 日英同盟調印
1904 37 日露戦争
1905 38 夏目漱石が「吾輩は猫である」発表、日本海海戦、日露がポーツマス講和条約締結、日比谷焼き打ち事件



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