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朝日新聞歴史写真アーカイブ
朝日新聞創刊130周年記念事業

戦況・世相、結ぶ残像 写真が語る戦争 歴史と向き合う

朝日新聞歴史写真アーカイブとは?

 朝日新聞創刊130周年記念事業の一環として、満州事変前後から敗戦までの間を中心にアジア各地で撮影された7万枚の写真の中から、厳選した1万枚をデジタル化したデータベースです。未来へ継承するデータベース「朝日新聞歴史写真アーカイブ」として、図書館向けデータベース『聞蔵(きくぞう)IIビジュアル』に2009年1月からコンテンツとして追加。 詳細はこちら(PDFダウンロード)

<ノモンハン事件>

 1939年5月、旧満州国とモンゴル人民共和国の国境付近で起きた日本軍とモンゴル・旧ソ連両軍の大規模な武力衝突。関東軍は参謀本部の不拡大方針を無視して5万6千もの兵力を投入したが、ソ連軍の戦車部隊に大敗した。戦死者は約8千人とされる。9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まったため、大本営は攻撃中止を命令。同月15日に停戦協定が成立した。

<大東亜共栄圏>

 日本がアジアを欧米の植民地支配から解放し、共存共栄の広域経済圏を作り上げるとする考え方で、旧満州国から中国や東南アジア、インド、南洋諸島などが含まれる。中国への侵略や、連合国側の東南アジア植民地を勢力下に置くことを正当化するスローガンとして使われた。現実は戦争遂行のための資源や労働力の一方的な収奪に終始し、「共栄圏」の実態は乏しかった。

<英雄と報道>

 真珠湾への特殊潜航艇攻撃で戦死した「九軍神」、中国戦線の「肉弾三勇士」など「戦場の英雄」らの逸話は戦意高揚のため大々的に報道された。日中戦争で九六式艦上戦闘機で出撃した樫村寛一兵曹は敵編隊に遭遇して1機を撃墜、1機を体当たりで墜落させ、片翼の3分の1を失いながら無事帰還。「片翼飛行」として有名になったが、後に南方戦線で戦死した。

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ホロンバイル高原を進軍する将兵=1939年6月24日
写真の裏側には「北上部隊の公表了解まで発表禁止。公表許可の時期来たらば全部使用可」などとある

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日章旗を腕に巻いて壕(ごう)より猛射する高橋(虎)部隊=1937年10月9日、上海戦線で
同年7月7日の盧溝橋事件の直後、上海とその周辺は激戦地区となった

その他の歴史写真アーカイブ

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マニラにも見る米の配給=1942年12月
同年7月13日の紙面は、マニラにも「隣組」が組織され、米の配給が始まったことを報じている

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前線に向かう看護婦=1939年1月30日、蘇州駅(中国・江蘇省)にて

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和縣城外(中国・南京郊外)の人家の塀に中国人が残した落書=1938年4月24日
「松井」は中支那方面軍司令官で、東京裁判で南京虐殺の責任を問われて絞首刑になった松井石根陸軍大将と見られる

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敵上空を片翼で帰る=1937年12月9日
後日掲載されたインタビュー記事に添えられた写真説明には南昌上空の大空中戦後に基地の上空に帰ってきた瞬間の樫村機とある

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マキ公学校の子供たち。学校でも裸だが、勉強は内地の子供に負けませんよ。腰みのは女の子、左手のふんどしは男の子=1939年4月、南洋ヤップ島で。海軍省検閲済み

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聞蔵(きくぞう)IIビジュアル
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図書館・学校向けのイメージつき新聞データベース。戦後の「紙面イメージ」と写真・図表を含む切り抜きイメージがついた使いやすいインターフェースが特徴です。
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