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朝日新聞歴史写真アーカイブ
朝日新聞創刊130周年記念事業

共栄圏の断面映す 朝日新聞社資料、疎開させ保管 写真が語る戦争 歴史と向き合う

朝日新聞歴史写真アーカイブとは?

 朝日新聞創刊130周年記念事業の一環として、満州事変前後から敗戦までの間を中心にアジア各地で撮影された7万枚の写真の中から、厳選した1万枚をデジタル化したデータベースです。未来へ継承するデータベース「朝日新聞歴史写真アーカイブ」として、図書館向けデータベース『聞蔵(きくぞう)IIビジュアル』に2009年1月からコンテンツとして追加。 詳細はこちら(PDFダウンロード)

 アジア・太平洋地域の「戦争の時代」の記録――。大阪市北区の朝日新聞大阪本社に保存されてきた戦前・戦中の写真は、「富士倉庫資料」と呼ばれてきた。各地で撮影された約7万枚もの写真には、中国大陸を中心にした戦場の実態、植民地や旧日本軍に占領された土地の人々の暮らしが生々しく残されている。「大東亜共栄圏」を唱え、戦火を広げた当時の日本のありようとともに、国民の戦意高揚に協力して検閲や言論統制を受け入れた新聞の姿も垣間見える。

 1928年6月4日午前5時半ごろ、北京を脱出して奉天(現・瀋陽)に向かっていた張作霖(ちょうさくりん)・北京政府大元帥が乗った特別列車が、奉天郊外で爆破された。張は重傷を負い間もなく死亡した。
 発生当時、奉天駅には到着する張を撮影するため、大阪朝日の宮内霊勝(よしかつ)カメラマンがいた。現場まで約1キロ。駆けつけた時、大破した列車はまだ激しく煙を上げて燃えていた。
 現場を撮影したフィルムは急行列車で平壌へ運ばれ、さらに本社機「初風」号で日本に空輸された。事件翌日の5日午後2時34分に約1300キロ離れた大阪に到着し、7時間59分という空輸の新記録を樹立。中国で起きた事件の写真が翌日の号外に掲載されるという、当時としては歴史に残る特ダネとなった。
 爆殺の立案実行者は関東軍高級参謀の河本大作大佐だったが、関東軍の関与を報じることは禁じられ、「満州某重大事件」という用語が登場した。事件の責任はうやむやにされ、関東軍の謀略による満州事変を経て日本が「15年戦争」にのめり込む契機となった。
 宮内カメラマンの三男徹さん(77)は、「おやじは生前、この写真を『わしの唯一の特ダネや』と言ってました」と話す。
 朝日新聞社は各地に記者を特派し、事件や事故だけでなく、アジアや南洋地域の世相や文化を記録した写真が集積した。裏側には、掲載に先立ち当局のチェックを受けたことを示す「検閲済」などの記載も混ざる。
 写真の一部を閲覧した山本有造・京都大学名誉教授(アジア経済史)は「検閲下という制約はあるが、戦況以外に銃後で暮らす人々の模様を記録したものも多く、当時『大東亜共栄圏』と呼ばれた地域に生きた人々の生活誌を伝える貴重な資料だと感じた」と話している。

<富士倉庫資料>

 空襲が激化した太平洋戦争末期、朝日新聞大阪本社は当時所蔵していた写真などの資料の一部を、奈良県の天理図書館に疎開させた。敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)による接収などを避けるため、資料は本社へ戻さず大阪市内の貸倉庫に移した。最終的に大阪市西区にある富士運送株式会社の倉庫で保管したため、この名がついた。中国や旧満州、東南アジア、南洋諸島を中心に、戦線の様子や当時の住民の暮らしぶりなど、写真資料の枚数は計7万枚におよぶ。後に社内の資料庫に戻され、今年から、デジタルデータ化と研究者などへの公開を視野に入れた本格的な整理作業を進めることになった。

◇新企画で紹介

 「富士倉庫資料」の本格的な整理が始まったのに合わせ、企画「写真が語る戦争――歴史と向き合う」を始めます。資料に含まれる様々な写真を出発点に、現代の記者が戦争や植民地政策、情報統制などの実相を検証します。
 なお、ここに掲載した写真説明の〈 〉内部分は、当時の記事や写真の裏側にあった記述を現代のかな遣いと表記に改めたものです。

<企業の海外進出>

 朝鮮や旧満州国には、資源や労働力、市場を求めて多くの企業が進出した。積極的だったのは1930年代に急成長した新興財閥で、日窒コンツェルンは朝鮮で電源開発を進め、興南に電気化学工業コンビナートを建設。創設者の野口遵(したがう)は「半島の事業王」と称せられた。鮎川義介(あいかわよしすけ)が発展させた日産コンツェルンは満州国政府、関東軍の要請に応じて中核会社の日本産業を満州国に移して満州重工業開発株式会社に改組し、日満両国にまたがるコンツェルンを目指した。それぞれの傘下や系列からは、日窒系のチッソ、旭化成工業、日産系の日立製作所、日産自動車など、戦後の巨大企業が輩出した。

<満州事変と満州国>

 1931年9月18日に関東軍が南満州鉄道を爆破した柳条湖事件を発端に中国東北部を支配下に置き、32年に満州国を設立させた。政権の正統性を確保するため、清国最後の皇帝だった溥儀(ふぎ)を帝位に就かせたが、実権は日本人が握った。40年の国勢調査によれば人口約4300万人で、うち日本人は約82万人。「五族協和」「王道楽土」のスローガンとは裏腹に実態は日本の傀儡(かいらい)政権で、27万人とも32万人ともされる日本からの移民向けの土地も、多くは現地住民が開墾した農地を接収したものだった。開拓民の多くは旧ソ連の参戦で取り残され、帰国できたのは約11万人とされる。

写真

朝鮮・光州にあった鐘紡工場(撮影日不明)
「鐘紡百年史」(1988年、同社)には「当時の朝鮮には内地のような工場法はなく、男女とも昼夜三交代勤務であったため、(中略)生産量も内地工場のそれより多かった」とある

写真

鯉のぼりを立て、日本の節句を祝う新ジャワの子どもたち=1943年4月22日、ジャカルタ幼稚園
同月27日付の紙面には、「嬉しいナ鯉のぼり」の見出しで別の角度から撮影したと見られる写真が掲載された

写真

盛んに客車が燃えつつある爆破現場=1928年6月4日、奉天駅を距(へだた)る西北方1キロのクロス点
翌5日夕方、大阪市内で配られた号外「奉天の列車爆破光景」の冒頭に掲載された

写真

現在の爆殺現場=6月、中国・瀋陽で、時津剛撮影

過去記事を振り返るには、オンライン新聞データベース

聞蔵(きくぞう)IIビジュアル
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