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朝日新聞歴史写真アーカイブ
朝日新聞創刊130周年記念事業

開拓移民 父よ母よ兄弟よ すべて失い中国残留 写真が語る戦争 歴史と向き合う

朝日新聞歴史写真アーカイブとは?

 朝日新聞創刊130周年記念事業の一環として、満州事変前後から敗戦までの間を中心にアジア各地で撮影された7万枚の写真の中から、厳選した1万枚をデジタル化したデータベースです。未来へ継承するデータベース「朝日新聞歴史写真アーカイブ」として、図書館向けデータベース『聞蔵(きくぞう)IIビジュアル』に2009年1月からコンテンツとして追加。 詳細はこちら(PDFダウンロード)

 終戦直前の1945年8月9日、旧満州(現中国東北部)にソ連軍戦車がなだれこんだ。かつて精強を誇った関東軍はなすすべもなく崩壊し、100万を超える開拓民や居留民が砲火の前に放り出された。殺戮(さつりく)と暴行、略奪の嵐が吹き荒れる中で親きょうだいを失いながら、必死で生き延びた子どもたちがいた。

 ロシアに国境を接する黒竜江省。06年11月、省都ハルビンから北へ約300キロの克東(クトン)県へ車を走らせた。
 国道の両側は収穫が終わったコーリャン畑が延々と続く。県中心部からさらに未舗装の道を50分走り、国営建業農場に着いた。
 勝利全(ションリチュアン)さん、日本名脇田澄昭さん(70)は、自宅の前で待っていてくれた。
 62年前、旧ソ連との国境の街・綏芬河(スイフェンホー)に暮らしていた脇田さんは、ソ連軍の侵攻直前に母と兄、2人の弟とともに列車で奉天(現遼寧省瀋陽)に避難した。開拓団員らを相手の医院を開業していた父は残り、それが永遠の別れとなった。
 避難先の奉天の神社は国境地帯から着のみ着のまま逃れてきた開拓団員らでごった返していた。食べ物に事欠き、病人が続出した。
 10月ごろ、母が倒れた。兄弟で、ろうそくの火で湯をわかして飲ませたことを覚えている。母は息を引き取った。それからまもなく、すぐ下の7歳の弟が外に遊びに行ったまま帰らなかった。
 10歳の兄は、5歳の末弟を中国人の養父に預け、2人になった。
 11月ごろ、貧しい大工職人の中国人養父にもらわれた。養父は気性が激しく、反発した兄は家出した。2週間後、後を追った。残飯をあさり、乞食(こじき)をする流浪の日々。養父の娘は流浪中の兄弟に、お金や食べ物をくれた。「実の姉以上だった。一生忘れない」。兄は病を得て「顔が異常に膨れあがった」後、死んだ。
 食うために養父の家に舞い戻り、7年ほど養父の大工仕事を手伝った後、単身ハルビンへ移った。荷物の運搬、家の修理工などをして暮らした。65年に建業農場に職を得て、ようやく生活が安定した。
 72年、日中国交正常化。「父母の故郷を見てみたい」。日本への思いが募った。妻子がいれば足枷(あしかせ)になると思い、縁談も断った。身元が判明し、訪日の願いがかなったのは98年秋。飛行機から下りる時、涙があふれた。
 肉親に会えないまま帰国した後、厚生労働省から思いもかけない手紙を受け取った。奉天で別の中国人に預けられた末弟の旗男さん(中国名・汪福金〈ワンフーチン〉)が生きていたが、自分の里帰りの7カ月前に病死していたという知らせだった。
 旗男さんは86年の第11次訪日調査で身元が判明、岩手県に住む母方の叔父らと対面した。当時の朝日新聞記事に「兄たちにも会えたら、別れと再会を、どういう経過で今の自分があるかを語り合いたい」という声が紹介されている。だが、兄弟の情報がつながることはなく、旗男さんは永住帰国の準備中に倒れた。
 「同じ中国に生き永らえていながら、互いに無事を知らなかったなんて」。無念でならなかった。
 国の一時帰国援護事業を利用して何度も日本を訪ねた。01年、母の故郷の岩手県大船渡市を訪ね、母の墓前で泣いた。翌年は父の故郷の鹿児島県の親族を訪ね、父の墓に手を合わせた。05年には支援者のいる福岡にも行った。だが、孤児たちが次々と永住帰国する中、あれほど焦がれた祖国に帰る意欲はうせていった。
 「日本は素晴らしい。でも、物価が高いし、慌ただしすぎる。60年も暮らした中国が落ち着く」
 自宅の部屋には、大船渡でもらった母の写真と、鹿児島で買い求めた西郷隆盛と桜島をデザインしたペナントが飾られていた。月千元(約1万5千円)の年金生活だが、生活費は300元ですむ。ぜいたくではないが、ゆとりのある生活ができるという。
 最後に、もう一度永住帰国の意思がないのか聞いてみた。
 「父母も兄弟も中国で眠っている。自分も中国に骨をうずめたい」(野口拓朗)

●24万人中、7万人死亡

 満州事変以降、敗戦に至るまで、日本は旧満州(中国東北部)に多くの農業移民を送り込んだ。
 「満州開拓の父」といわれた農業教育家の加藤完治や関東軍将校の東宮鉄男(とうみやかねお)、同参謀の石原莞爾(かんじ)らの積極的な建議もあり、傀儡(かいらい)国家の満州国が建国された1932年から試験移民が始まり、36年に広田弘毅内閣が重要国策として20年間に100万戸の移民計画を決定。以降、毎年多数の農民が移住した。
 昭和恐慌で困窮した農民を救済するとともに、日本人人口を増やし、国境を接して緊張関係にあったソ連軍との有事に備える狙いがあった。
 農家の次男、三男らを中心に「開拓団」という武装集落を作って入植した。入植地はソ連との国境に近い北満州が中心だったが、土地の多くは中国人らの耕地を安価で強制的に買い上げたもので、中国人らの恨みを買った。戦争が激しくなって成人の移民が難しくなると、数え年16~19歳の少年を満蒙開拓青少年義勇軍として入植させた。
 当時の開拓団関係者には侵略・加害の意識は希薄だったが、中国側の見方は厳しい。「九・一八歴史博物館」(瀋陽市)の展示の一角に「(日本の)移民、東北の土地を占領」と題して開拓団の分布図や写真が展示されている。解説書には「移民は土地収奪とともに、関東軍の治安維持、抗日勢力鎮圧に協力する役割を果たした」「開発、建設の名のもと、日本移民の侵略活動は絶頂に達した」と開拓団を侵略者と位置づけている。
 45年8月9日のソ連参戦と中国人の蜂起により、開拓団や青少年義勇軍の人々の運命は、悲惨を極めた。
 厚生労働省などの記録では移民総数約24万人のうち約7万人が死亡した。終戦時、開拓団を含む満州在住一般邦人は約155万人で、うち約18万人が死亡した。
 引き揚げ途中でやむなく親が手放したり、親を失って中国人に助けられたりした子どもたちが中国残留日本人孤児で、多くが開拓団の子弟だ。
 72年の日中国交正常化後、民間団体の調査や国による集団訪日調査により孤児総数2807人のうち1279人の身元が判明、未判明者も含め2507人が日本に永住帰国した。現在中国にとどまっているのは299人。

■満州開拓団関連年表

年・月・日  
1929 世界恐慌始まる
31.9.18 満州事変
32.2 関東軍、加藤完治らが満州移民案を作成
3 日本が傀儡国の満州国を樹立
8 満州試験移民費の予算計上
10 第1次武装移民団(関東・東北の在郷軍人約420人)が満州・佳木斯入り
36.8 満州開拓を重要国策に決定、100万戸移住計画案を採択
37.7.7 盧溝橋事件、日中全面戦争へ
41.12.8 日本が真珠湾攻撃、太平洋戦争へ
45.8.9 長崎に米軍が原爆投下、ソ連参戦
15 日本が無条件降伏
45~58 中国残留邦人が断続的に引き揚げ
49.10 中国共産党政権の中華人民共和国成立
66~76 中国が文化大革命で混乱
72.9 日中国交正常化
81.3 中国残留孤児集団訪日調査始まる
2005.7 中国残留日本人孤児が日本政府に国家賠償を求めた集団訴訟で大阪地裁は請求を棄却
06.12 兵庫県の残留孤児が国家賠償を求めた訴訟で神戸地裁が「国は早期帰国を妨げ、帰国後も自立支援を怠った」と国に賠償命令
       
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長野県立御牧ケ原修錬農場で、「移民訓練」の一環として、凍った土にくわをふるう人たち。深く凍る満州の土を開墾するための鍛錬だ。「アサヒグラフ」1939年3月1日号に掲載された=長野県北佐久郡で

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写真説明は「豆開拓戦士もまじえて満蒙開拓団出発」。42年5月22日付の朝日新聞大阪版は「満蒙農工業開拓民12家族45人が(中略)大阪駅発列車で勇躍壮途についた」と報じた=42年5月、大阪駅で

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「哈達河(ハタホー)第4次移民団、新しき土を耕す」。37年6月21日付の記事によれば、同移民団は三つの丘に12の集落を建設。午前4時から馬を使い、耕作していた=37年6月、中国東北部密山(ミシャン)県哈達河で

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第2次移民団が入植した「千振村」の花見風景。梨の花が真っ盛り=「千振屯墾団画報」に掲載された写真から

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脇田澄昭さんが幼年期を過ごした旧ソ連国境の綏芬河の町並み。写真説明には「限りなき波状地帯の丘陵の彼方烏蘇里線(ウスリー鉄道)が走り」とある

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脇田澄昭さん。壁にかかっているのは母の写真=野口拓朗撮影

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故郷の大阪に帰還した昇平開拓団の一行。塚本健治団長は引き揚げの途中で死亡し、団長代理の長谷川正歳さん(当時32)が183人を引率して4年ぶりの帰国を果たした=1946年10月12日、大阪駅で

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