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朝日新聞歴史写真アーカイブ
朝日新聞創刊130周年記念事業

ノモンハン事件 「勇敢」強いた無策 写真が語る戦争

朝日新聞歴史写真アーカイブとは?

 朝日新聞創刊130周年記念事業の一環として、満州事変前後から敗戦までの間を中心にアジア各地で撮影された7万枚の写真の中から、厳選した1万枚をデジタル化したデータベースです。未来へ継承するデータベース「朝日新聞歴史写真アーカイブ」として、図書館向けデータベース『聞蔵(きくぞう)IIビジュアル』に2009年1月からコンテンツとして追加。 詳細はこちら(PDFダウンロード)

 ちょうど69年前の1939年5月11日、中国東北部の旧満州国と当時のモンゴル人民共和国の間に広がるノモンハン付近の大草原で、国境をめぐる小さな衝突が起きた。満州に展開していた関東軍は、大本営の方針を無視して戦線を拡大し、日本・満州国軍と、旧ソ連・モンゴル軍の局地戦に発展。8月、日本側はソ連側の大攻勢にさらされることになる。(永井靖二)

●「タコ壺」耐えた猛砲撃

 見渡す限りの草原の中、地平線まで続く歩兵の隊列の写真が残っている。ノモンハン事件さなかの1939年7月、同盟通信(現共同通信)が報道機関に配信した。日本軍が拠点の旧満州(中国東北部)・ハイラルから前線へ200キロ以上を行軍している途中に撮影されたものだ。
 上等兵だった川畑博信さん(93)=大阪府摂津市=もその中にいた。「炎天下に投げ出されたイモムシがもがくような行軍。銃と弾薬、食糧以外はすべて捨ててしまった」
 日本側が一時攻勢をかけたこともあったが、戦線は膠着(こうちゃく)。物量で勝るソ連軍は日本軍の部隊を個別に包囲し、8月20日から総攻撃に出た。
 25日朝、川畑さんの所属していた第23師団山県支隊の分隊の周囲でも戦闘は激しさを増した。敵の砲撃は、川畑さんの陣地から約3キロ先にあった第7師団生田大隊の陣地に集中した。
 川畑さんは「タコ壺(つぼ)」と呼ばれる1人用の壕(ごう)から、砲兵用の7倍双眼鏡で戦況を見守った。戦車と一緒に進撃するソ連歩兵に対し、壕内に生き残っていた日本兵がラッパの音とともに突撃する。
 ソ連軍は押し返されると、再び数百メートル先から砲撃。そんな光景が数回繰り返されたが、丘の後方に回り込んだ戦車5台が、稜線(りょうせん)を乗り越えて陣地にのしかかると、反撃はなかった。午後3時ごろ、生田部隊の陣地は陥落した。
 敵の戦車18両と歩兵約300人が、こちらへ向かうのが見えた。約千メートル先で包囲陣形を取り、夜襲を警戒する態勢でいったん進軍を止めた。

 次は自分たちの番だった。
 翌朝始まった猛烈な砲撃は2日間、断続的に続いた。川畑さんらは深さ約1メートルのタコ壺の底にくぎ付けになった。砲撃は多い時5分間に400発を数えた。5月に全滅した捜索隊の遺体回収に行った際に見た、蜂の巣のように掘られたタコ壺のなかで蜂の子のように1人ずつ兵士が死んでいた光景が脳裏をよぎった。
 28日、ついに白兵戦になった。川畑さんの分隊は、味方の他の小隊に気をとられているソ連の歩兵部隊に、約30メートルから一斉射撃を浴びせた。別の敵兵が視野の端に見えたと思った瞬間、銃弾がのど仏とあごの骨の間を貫通した。数ミリの差で致命傷は免れた。幸い、応急処置を受けている間に敵は兵を引いた。
 翌日の砲撃も持ちこたえ、30日午前1時、付近の中隊約100人とともに闇に紛れて前線を脱出。師団司令部があった「将軍廟(びょう)」にたどりついた。
 約10キロ南にいた山県支隊の本隊は、その前日の午前3時に川畑さんらが脱出したのと同じ経路で撤退を試みたが、夜明けに間に合わず敵に包囲されて壊滅。連隊長の山県武光大佐は戦場で自決したと後で聞いた。
 9月3日に大本営は関東軍に作戦停止を命じ、同15日には日ソ間で停戦が決まった。
 川畑さんは40年に満期除隊となり、以前いた機械工場で働きながら終戦を迎えた。

 ソ連軍を指揮したジューコフ将軍は40年5月、スターリンに接見した。日本軍の評価を尋ねられ、「兵士は真剣で頑強。特に防御戦に強いと思います。若い指揮官たちは、狂信的な頑強さで戦います。しかし、高級将校は訓練が弱く、紋切り型の行動しかできない」と答えている。(「ジューコフ元帥回想録」)
 川畑さんは言う。「確かに日本兵は頑強で勇敢だった。でも、戦車に銃剣だけで突撃させられる。やらなければこっちがやられる。勇敢にならざるを得ないじゃないか。兵を死地に放り込んで絶体絶命の戦闘ばかりさせていたのが、日本軍のやり方だった」

●戦死傷病76%、甘い責任追及

 「関東軍の考えが正常であれば、我にとって一文の価値もない蒙古(もうこ)草原の争奪戦はしなくても済んだ」
 停戦後に第23師団参謀として残務処理にあたった扇廣(おおぎひろし)氏は、86年に出版した著書「私評ノモンハン」(芙蓉書房出版)で述べた。同書によれば、39年時点の関東軍の戦力は、旧ソ連に比べ劣勢だった。師団数で33・7%、飛行機で22%、戦車に至ってはわずか6・3%。だが、「捜索隊」として前線に送った部隊が5月29日に全滅した後も、大本営は関東軍の暴走を止められずに事態は拡大した。
 7月3日には、日本側は国境と主張していたハルハ河を越えてモンゴル領に侵入したが、大部隊を渡らせる橋が訓練用の浮橋一つしかなく、2昼夜で挫折。ソ連側が8月20日に大攻勢に出て、日本側は壊滅的損害を受けた。第23師団軍医部の調査によれば、同師団の将兵1万5975人のうち、戦死傷病者は計1万2230人で76%に達した。太平洋戦争で最も悲惨といわれたガダルカナル戦の死傷率34%の実に2倍以上だった。
 戦闘の激しかった地域に投入された連隊のうち、連隊長は5人が戦死し、戦場か撤退後の自決も7人に上った。
 一方、作戦を立案した幕僚の処遇は甘かった。関東軍参謀として作戦を主導した辻政信少佐(当時)は一時閑職に回されるが、41年7月に大本営参謀本部の作戦課戦力班長となり、ガダルカナル作戦を担当。戦後は衆参両院議員を歴任している。
 「ノモンハンの夏」を書いた作家の半藤一利さんは「見通しの甘さが大損害を招いたのに、計画を作った者への責任追及は徹底されなかった。戦中のみならず、企業や官僚など、戦後の社会にも同じ図式が継承されているように感じる」と話す。

 写真説明は、当時の写真の裏側に書かれていた記述を現代のかな遣いと表記に改めたものです。

写真

旧満州国西部に広がるホロンバイル草原を徒歩で進む日本軍=39年6月下旬撮影、同7月4日付で同盟通信社が配信
【注】右端の列の前から3人目、銃を肩にかけて手ぬぐいをかぶっているのが川畑博信さん

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ソ連機の爆撃を受けて大破した将軍廟=39年6月25日
【注】6月29日発行(30日付)の大阪朝日夕刊、同30日発行の東京朝日朝刊に掲載。作戦の主体となった第23師団の司令部は、ノモンハンの北東約17キロ、「将軍廟」と呼ばれたチベット仏教寺院がある小集落に置かれた。参謀本部の制止を振り切ってモンゴル領に侵攻する7月初旬の作戦も、同司令部で作成された

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現在の将軍廟跡。建物のレンガ片が散らばる地表には、柱や塀の痕跡がかすかな起伏として残る。周囲は360度の地平線で、舗装道路を離れたら、地元ガイドの案内がないと戻れなくなるという

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付近に落ちていた、補給物資とみられる缶の破片には「満洲國専賣総局」の刻印があった=いずれも4月20日、中国・内モンゴル自治区ホロンバイル市、日吉健吾撮影

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破壊されたソ連戦車=39年7月4日付で陸軍省が貸し下げ
【注】7月初旬の交戦時、ソ連の戦車はガソリンエンジンだったため、日本兵が捨て身で投げつける火炎瓶(びん)で多数が炎上した。8月には大部分が発火しにくいディーゼルエンジンに切り替えられたため、日本側の損害は大きくなった

その他の歴史写真アーカイブ

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ノモンハンから凱旋(がいせん)した諸部隊の観兵式=39年10月11日、旧満州国・ハイラルで
【注】同13日発行(14日付)の大阪朝日夕刊と、14日発行の東京朝日朝刊に掲載された。「歩武堂々・ノモンハン帰還部隊の閲兵式」(東京)などの写真説明だけで、内容を説明する記事の本文はない。7月上旬の戦闘で約半数が損害を受けた戦車隊には帰還命令が出され、同月下旬以降の戦闘には参加していない。写真裏には「機械部隊も参加」と、鉛筆の書き込みがある

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大破したソ連戦車の前を匍匐(ほふく)前進する兵士ら=39年7月4日付で同盟通信社が配信
【注】詳細な撮影地点は不明。3日未明にハルハ河を渡って西岸のモンゴル領に侵攻した日本軍はソ連戦車部隊に包囲され、4日未明には退却を始めていた

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真夏の炎暑を防蚊面をかぶってしのぎ、塹壕(ざんごう)内でひと眠りする兵士ら=39年7月4日付で同盟通信社が配信

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張作霖爆殺事件の現場=28年6月

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川畑博信さん=3日、大阪府摂津市の自宅

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