昨年末まで東京国立博物館で開かれていた中国国宝展を見に行った。悠久かつ豊かな古代中国の、歴史と文化を代表する作品に驚きと感動を覚えた。殷周時代の青銅器、秦始皇帝陵の兵馬俑(よう)などだけではなく、異文化を取り込み、今も金色の輝きを放つ菩薩(ぼさつ)像の優美な姿は見る者の目を引き付けた。
近年、日中両国間でもめている歴史問題に関し、「中国人は歴史にこだわり過ぎる」と日本でよくいわれるが、国宝展をみて、自分も中国人ながら、中国人の歴史についての執着心の深さを改めて認識した。
中国はこの四年間、国家事業として歴史学、考古学、天文学、科学測定などの専門家約200人を結集して、歴史のロマンに挑戦した。幻といわれた夏王朝の始まり、殷時代後半の歴代王の即位年などを考証したのだ。各地の遺跡から出た獣骨の甲骨文字や青銅器の文字、天文現象に関する記述などを分析し、出土品の放射性炭素年代測定なども行った。
なぜ、遠古の年代考証にここまでばく大な労力と資金を費やしたのか。中国人にとって歴史は、自分たちの文化・思想そのものであり、歴代の統治者も知識人もそこに治国の経験と教訓を提供する役割を求めていたのだ。司馬遷の「史記」をはじめ、「二十四史」は書物のリストの筆頭に並べられてきた。
歴史の真実にこだわるもう1つの物語を紹介しよう。戦国時代の斉の国で宰相の崔杼(さいじょ)がやむを得ない理由で国王の庄公を殺したが、庄公が病死したと書くように伯という太史(たいし=歴史を記述する官吏)に命じた。だが、伯は事実通りに書き、崔杼に殺された。
仲(ちゅう)が太史を継ぎ、兄の伯と同様に記録し、同様に殺され、仲の弟、叔(しゅく)も同じ理由で殺された。末弟の季も事実通りに書き、これを見て崔杼は「命を惜しまないのか。記述を変えたら殺さない」と言った。これに対し、季は「事実に基づくことが職責だ。私が記録しなければ、ほかの人が記録するに違いない。私が記録しなかったら、私は識者から笑われるし、あなたの罪を消したことにもならない」と答えた。
歴史の真実の追究にこだわる中国人の特徴を、日本人は理解する必要があろう。いいか悪いかは別として、これは中国の文化なのだ。
歴史に執着することは排他的に自分の文化の純粋を守るということではない。中国国宝展では、インドの雰囲気を漂わす如来像など、中国文化の国際性を感じさせる作品も並ぶ。執着と、異文化を取り入れる融和の力は、中国の歴史と文化の源泉ではないか、と感じた。