中国は、9割を占める漢民族と55の少数民族が暮らす多民族国家だ。その民族多様性が魅力の一つだが、いま、その多様性に危機が忍び寄っている。
「都市化」ブーム。経済発展で都市化が進む沿海部のことではない。農業中心の内陸部の「地区」を「市」と呼び換え、農民や遊牧民を「市民」にするという行政改革、「撤地設市」の動きだ。
地区とは省と県の中間、省の出先行政機関がある程度で、ほとんどが田園地域。経済発展に一途な役人には「古臭くて、改革開放の時代に似合わない」と映る。都会風に市と呼んだ方が投資を集めやすいとの思いがある。体裁が良くなれば業績顕示にもなるから、競って「設市」に走りがちだ。
憂慮されるのは、少数民族自治区でもこの動きが画一的に進んでいることだ。内モンゴルでは自治区の下級行政機関として「盟」が置かれてきた。しかし、近年、「撤盟設市」が唱えられ、自治区内九つの盟のうち六つまでが市になった。広大な草原地帯に遊牧民が暮らすフルンボイル盟までが市になった。通遼市になったジリーム盟のように、モンゴル語の地名が捨てられて少数民族の自治地域かどうか見分けられなくなった所もある。
盟は、清朝の軍事・行政・社会制度「八旗」をモンゴルの伝統的部族制と融合させ、モンゴルを中国本土とは別の藩部として統治する「盟旗制度」の一環として生まれた。清朝を倒した中華民国はモンゴル人王公を懐柔しようと、この制度を継続。中国共産党も踏襲。高度な自治を売り物にモンゴル人の信頼を得、49年に中華人民共和国が成立する2年も前に内モンゴル自治政府を樹立させた。中国の民族自治の原型ともいえるこの制度が、本土化の動きの中で消滅の危機にひんしているのだ。
日本でも「平成の大合併」をめぐって、切り捨てられる郷土の歴史や文化遺産を惜しむ声が上がっているが、民族の伝統と自治権を失いかねない少数民族の悩みは一層深い。
少数民族自治地域の本土化政策は今に始まったことではない。19世紀以後、大規模な漢民族の入植を背景に、大変動のたびに自治と民族文化の色合いが薄められてきた。改革開放の大義名分を前に、内モンゴルは「自治区」の建前をむき取られ、「省」として登場することになりかねない。
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筆者の略歴:中国・内モンゴル出身。早稲田大学で中国の少数民族地域の社会変動を研究。著書に『近現代モンゴル人農耕村落社会の形成』など。