今年は日本にとって日露戦争講和百周年の節目の年である。開国からわずか50年の日本が、世界五大列強のひとつロシアの陸海軍を、満州と日本海で破って勝利を納め、列強に仲間入りした。
その後日本は、どのような国になるべきかをめぐって内部で様々な議論が行われた。勝利に高揚した帝国陸軍と海軍は、1907年に「帝国国防方針」を決め、「開国進取」のスローガンの下に大陸への膨張を打ち出した。朝鮮や関東洲などを版図に納めた日本にとって、さらなる大陸への膨張は拒否できない誘惑であったかもしれない。
しかし勝利の熱気が燃える最中、冷静に日本が求めるべき国家発展の道を探った戦略家もいた。海軍大学教官として1908年に『帝国国防史論』を書いた佐藤鉄太郎大佐は、イギリスが繁栄している所以は、欧州大陸に膨張したわけではなく、むしろ海軍を養成しつつ、防守自衛の国家戦略をとっているからだと論じた。さらに、獲得した満州と朝鮮をあえて放棄することがむしろ帝国日本の安全と国益につながる国家戦略であると主張した。
1911年から東洋経済新報で言論活動を始めた石橋湛山も、大陸への進出を訴える当時の大日本主義がもつ危険性を指摘し、戦争を通じて日本が確保した満州と朝鮮などの利権を大胆に棄てる小日本主義を日本が歩むべき戦略として提案した。
当時の日本社会の雰囲気から彼らは異端者であったかもしれないが、長い歴史の目からみると、彼ら先達の意見に日本が耳を傾けていたら、太平洋戦争での敗戦はなかっただろう。結局、敗戦後に日本が選んだ国家発展の道程は、石橋などが描いた小日本主義への道であった。
終戦60周年を迎える現在、日本は再び選択の岐路に立たされているように見える。ある人はこれまで通り平和国家への道を堅持すべきであると主張する。他の人は、戦後に成し遂げた経済大国の地位に相応しい普通の国になるべきだと語っている。戦前の歴史を建て直し、周辺国家からの脅威にも対応できる軍事国家体制を作らなければいけないと主張している人もいる。
日本国民の多数が、戦前の歴史を正当化し戦争のできる国に建て直そうとする路線には概ね同意していないと私は信じている。戦後、日本国民が力を合わせて発展させてきた自由民主主義と市民社会の力をわかっているからだ。
日本は戦後、何十年もかけて平和主義や国際協調主義の体制を築いて来た。普通の国を描く論者でさえ、隣国と共有できる国益の概念を訴えている。その普遍的な価値は、たとえ日本が新しい憲法を作っても維持されるべきだと私は願っている。
しかし新たな日本の将来が問われる今の時点で、戦前の歴史を美化しようとする目論みをもつ歴史教科書が検定を通過したり、日露戦争の最中に日本が占有した竹島(韓国名・独島)への領有権が再び日本社会で議論の的になったりすることはどうしても不安材料だ。冷戦後、日米同盟が漂流した際、日本の有識者らは同盟を建て直すために日本がアメリカに見せる魅力を開発しなければならないと論じたことがあった。今、日中韓の近隣関係が揺らぐ中、なぜ日本は、平和主義や相手に対する思いやりの魅力を近隣の国々に存分に伝えないのだろうか。
靖国神社への参拝、歴史教科書、そして竹島の領有権などに対するこだわりは、日本が構築してきた平和主義や国際協調主義の理念にも反する。自国だけに通用する狭い国益へのこだわりを大胆に棄てることが、世界有数の大国になった日本の安全と繁栄につながるのではないだろうか。閉鎖的ナショナリズムへのこだわりを棄てることによって、韓半島に住んでいる4500万人、ひいては北朝鮮と中国に住んでいる人々から信頼と尊敬を得ることが、日本にとってより大事な利益になるはずで、確かな安全保障確保の方策にもなるだろう。百年前に佐藤鉄太郎大佐と石橋湛山らによって描かれた道が、21世紀日本のさらなる平和と繁栄のため、日本が歩むべき成熟した対外戦略として甦る必要があると思う。