80年代の中ごろ、東京で韓国人たちが集まる場所といえば、上野と赤坂が代表格だった。韓国料理が食べたければ赤坂、秋夕(チュソク)や正月の食材買い出しなら上野と決まっていた。
それが90年代に入って変わった。日本留学組で定着したニューカマー、いわゆる「新韓国人」が登場。新宿職安通りと大久保通り沿いに、競って韓国語の看板を掲げた。焼き肉、家庭料理からスーパー、美容室、情報雑誌まで300軒余。料理店の突き出しは多種で無料、お代わり自由。味もサービスも本場そのもの。米国ロサンゼルスのリトルコリアを思わせる本格的な「韓国の町」が生まれた。
その存在を広く印象づけたのは02年のW杯の韓日共催だった。「大韓民国、チァジャッチャ、チャッチャ!」というリズミカルな拍手応援歌は韓国だけではなく、職安通りと大久保通りにも鳴り響いた。この時だけは両国間の境界線は消え去り、サッカーが韓国人と日本人を友情で結びつけた。「韓流」の風の先駆けにもなった。
いまでは「エスニック料理の町」から広く「トータル韓国文化の町」に変わり、映画やドラマのDVDから音楽、雑誌に至るまで、何でも買うことができるようになっている。
だが、すべてが順風満帆というわけではない。
このところ人手不足をぼやく経営者が増えてきた。本場物の味や伝統工芸品の手作りを支えてきた韓国からの出稼ぎ者が不法在留で摘発送還されるケースが後を絶たない。都知事の「三国人」発言以来、取り締まりは厳しさを増し、先行きに影が差しているのだ。
晴れのち曇りの空模様だが、取り締まりを恨んでも仕方がない。ニューカマーたちは、過去にとらわれがちな旧世代と違って、考え方は全般的に未来志向だ。彼らは、既存の在日組織である民団や総連とは別の韓国人連合会を結成して、日曜日の大通り掃除などを通じて地元商店会と交流を深めている。
こうした努力が地元の人々の理解を得て協力と共栄の道を切り開いていることは心強い。新たに生まれた東京のリトルコリアが、韓国人と日本人の心を編む懸け橋であり続けてくれることを願ってやまない。