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朝日新聞アジアネットワーク
コラム

内外の識者がアジア・日本を語る

被爆体験 世界の遺産として共有を

林 靖(リン・ジン)/雑誌「財経」〈中国〉記者、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員

2007年03月10日

写真:林靖(リン・ジン)さん

 広島と長崎を訪ね、9人の被爆者に話を伺う機会があった。一人一人にのしかかってきた原爆の傷にふれて、被爆から62年がたった今も体や心をむしばんでいる現実に驚かされた。今でも心が沈んでいる。

 広島市の三刀屋徹さん(80)は閃光(せんこう)と同時に床に伏せてけがは浅かったが、戦後も放射線の影響におびえ続けた。娘さんを31歳でがんで亡くした。「原爆のせいなのか」と、やはり広島で被爆した奥さんと涙にくれた。

 長崎の山田拓民さん(75)は14歳で被爆した。爆心地から離れていてけがは浅かったが、爆心地から900メートルの家にいた母と姉、弟2人の計4人を亡くした。「自分で姉と弟の遺体を焼いたことは今でも心の痛み。父は被爆で重傷を負い、16年後に肺がんで亡くなった」。6人家族で結局生き残ったのは、1人だけだった。

 あれから62年。今も人々の体や心をむしばむ。子供が先だったことも多い。それだけに、地獄を生き延びた被爆者たちの、平和を祈る気持ち、悲劇が二度と他の人々の上に繰り返されないようにとの祈りは強い。

 残念なのは、この祈りがアジアや世界の人々にあまり知られていないことだ。日本でも、今では多くの人々から忘れ去られようとしている。しかし他方で、一人でも多くの人に被爆体験を引き継ぎたいと、懸命に風化と闘っている人々がまだたくさんいることも心強い事実だ。

 人類最初の被爆体験を最後のものにするためには、日本の人々の体験としてだけではなく、世界人類の体験として共に継承していく努力が欠かせないと思う。広島の原爆ドームが96年に「世界遺産」に登録されたことの意味を改めて問い直すことが必要ではないか。

 核時代の今、人口爆発や資源枯渇、世界規模での格差拡大など、人類が直面する難題は山積みだ。道を誤れば、新たな被爆都市が生まれる恐れが絶対にないとは言い切れない。

 戦争には、勝者などいないのだ。広島、長崎の体験ほど切々と訴えているものが他にあるだろうか。もっとたくさんの人たちが広島、長崎を訪ね、「二度と許すまじ」の心に思いをはせてほしいと願っている。

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