「火が迫ってきた。みんなを集めて火消しをしなければ……」
私と談笑していたケニァ人の長老が突然、表情をこわばらせて言った。
98年2月、赤道直下のインドネシア・東カリマンタン州。郊外の調査地を訪れた時のことだ。燃えているのは果樹園。私も火消し作業を手伝った。炎で体は熱く、煙で目が痛い。涙を流しながら、村の男たちと一緒にバナナの葉や小枝を束ねて火をたたき消そうとしたが、焼け石に水だった。目の前で、20年近くにおよぶ人々の努力の結晶であり、収入源である果樹園が焼けてしまった。人間の非力を痛感し、敗北感がこみ上げた。
97年から98年にかけてインドネシア各地で発生した森林火災は、周辺諸国に健康被害などをもたらした。焼失面積(林地以外を含む)は全国で970万ヘクタールと推定される。北海道と福島県を足した面積になる。うち650万ヘクタールはカリマンタンだ。
火災の主な原因が「森林の開発」であることはNGO(非政府組織)や国際機関の調査で明らかにされている。
熱帯林を切り、アブラヤシ農園にしたり、アカシアやモルッカネムを植林したりする。これはインドネシア政府が90年代から進めている政策だ。
まず、熱帯林を切り倒す。次にそれらの樹木を一気に燃やして整地し、その後に苗を植える。樹木を燃やすときの煙が煙害を引き起こすばかりでなく、火が飛び移って別の森や農園が火事になる。冒頭の火災は、こうした飛び火が果樹園を焼いた事例である。
アブラヤシからは菓子用油脂や、化粧品などの材料のパーム油が取れる。成長の早いモルッカネムとアカシアはパルプの原料になる。パーム油もパルプも、インドネシアにとって有望な輸出産品だ。経済のグローバル化を背景に、政府と企業は熱帯林を開発することにやっきになってきた。
インドネシアの熱帯林面積はブラジル、コンゴ(旧ザイール)についで世界第3位。固有種が多いため生物多様性保全の重要な対象とされている。その貴重な森が、もうけるための犠牲になったのだ。
初めのころ、政府は住民による焼き畑農業が森林火災の原因であると発表した。森林が減り始めた70年代、政府は「原因は焼き畑だ」と住民に責任を押しつけた。その態度が今も続いている。森を壊すのは無知な地域住民である。だから、森林行政官や林業会社のスタッフ、科学者ら教育を受けた専門家が森林を管理すべきで、近代的技術の導入と人々への教育が問題解決に役立つ。こんな考え方が政府の態度の背景にあり、これに基づいて、政策は立てられている。
カリマンタンのバハウ人の村には、タナ・マワッと呼ばれる保全林がある。集会所の建設など必要なときだけ、伐採を認めるというルールで住民が守ってきた森だ。大木もたくさんあった。
90年代初め、この森の約半分が植林会社によって切られてしまった。パルプ用材を植林するというこの会社に、政府が伐採権や植林の権利を認可したのだ。この企業は反対運動にあって撤退したが、失われた保全林はもとには戻らない。
アジアの熱帯林減少は70年代に始まっている。当初は木材輸出のための伐採だった。90年代になり、伐採跡地が増えると、そこにパルプ用材を「植林」するというのが各国政府の森林政策になった。植林の推進は地球環境保全にも役立つ、というのが政府の大義名分だ。だが現実には、残存する熱帯林も次々伐採され、農園やアカシア林に変わっている。
地域住民にとっては、様々な森林産物を提供してくれた身近な森を奪われることになる。住民が農地として使っていた土地を没収、植林され、そこで生活することができなくなった例もある。政府は住民を植林事業に雇う方針だが、雇用からもれる人々は難民化する恐れがある。
92年の地球サミットですでに、熱帯林減少の危機は指摘され、採択した森林原則声明や生物多様性条約には、「森を守るためには市民参加・住民参加が重要」との趣旨が盛り込まれた。アジア諸国でも住民参加の制度が整備されつつある。しかし、正反対の理念がしぶとく専門家の中に残っているのが現状だ。
今年の環境開発サミットでも、森林の違法伐採や火災は主要な議題だ。
この10年の間に、専門家による独占的・閉鎖的な政策では森林保全に失敗することがいっそう明らかとなった。地域の人々による森林管理への関与と権限を高めることが必要である。変わるべきはむしろ専門家なのだ。