――日本の環境問題にとって、この10年はどんな歳月だったのでしょう。
水俣病訴訟が和解し、政治決着したのが96年。「もう水俣病は終わった。これからは地球環境問題の時代だ」とみんなが言うようになった。地球環境ももちろん、大事だけれど、今も苦しむ水俣病患者をどうするか、ダムや原発をどうするかという足元の問題には目をつむる傾向が強まった10年だったと思います。
お役所が続々と「公害課」の看板を「環境課」に掛けかえたのもこの10年。地球環境、と抽象的に言っておけば、だれも傷つかないし、国から研究費も出る。
和解で患者が救済されたわけでもないし、症状は何も変わらない。年取ってどんどん、死んでいるくらいで。
――水俣は終わっていない、と。
水俣病のことはまだ氷山の一角しかわかっていないのですよ。何をもって水俣病と診断するか、という医学的問題さえ決着がついていない。水俣市の住民が健康だけでなく、精神的にどんな被害を受けたのか、地域社会がどう壊れていったのか。ほとんど明らかにされていない。
――9月に「水俣学」の講座を始めますね。
あまりにも、水俣は終わったというムードだから、「それは違う」と。
チッソは欧米の技術をいち早く取り入れ、改良して成功した日本の工業化のモデルのような企業。水俣市はそのチッソを誘致し、小さな漁村から化学工業都市への脱皮をはかる。55年ごろには、市民の約3割がチッソの関係者になった。工場長が市長になり、「チッソあっての水俣」という雰囲気ができあがっていく。経済的、政治的に支配され、最後には心も支配されてしまう。
日本の近代化、高度経済成長とは何だったのかを解明する学問です。
――アジア各国などが直面する環境汚染をどう見ますか。
被害が見えにくいというのが特徴です。アマゾン流域やカナダ、中国で、水銀中毒が起きていますが、水俣のように、一目見てわかる重症患者はいない。水銀の影響を受けているのはまちがいないが、低濃度だったり、初期の段階であったり。
環境ホルモンやダイオキシンの被害も見えにくい。局所的で濃厚な汚染から、地球規模的に広いが薄い汚染へ。健康被害の質が変わったのです。どっちが深刻か、比べられないが、今の汚染のほうが、対応するのがやっかいとは言えます。
公衆衛生の状態が悪いこと、汚染物質が複数あることも被害を見えにくくさせている。
――日本はアジアに何を伝えるべきでしょう。
公害は解決しました、というきれいごとを言っても何も伝わらない。日本はなぜあんな惨憺(さんたん)たる公害を引き起こしたのか。いつ、どこで、だれが何をしてはいけなかったのか、何をすべきだったのか。痛みを伴う失敗の情報こそ伝えるべきではないですか。(聞き手=伊藤景子)
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はらだ・まさずみ 34年、鹿児島県生まれ。熊本大学医学部卒。水俣病についての調査研究を続けるかたわら、多くの裁判で患者側証人をつとめる。アジア各国の環境汚染の現場にも足を運んでいる。著書に「水俣病」「水俣が映す世界」ほか。