伝統を生かす
忍者の里で知られる滋賀県甲賀町。水田と森林が溶け合う田園風景が残る。
「ヒノキにも表と裏がある」。ここで育った会社員粂田誠さん(54)は、40年以上も前に聞いた言葉を今も覚えている。小学生のころ、学校活動で町の共有林にヒノキの苗を植えた時のことだ。「南北を間違えたら木はねじれ、よい材木にならない」。年配の指導員の知識が新鮮だった。
営業で回った各地で自然破壊を目の当たりにしてきた。ふるさとを同じようにしたくないと、20代で地元のボランティア組織に入り、森林整備の腕を磨いてきた。
三重との県境に広がる約200ヘクタールの共有林は、もともと、周辺農家が材木や薪、肥料の草などを採集する入会(いりあい)地だった。明治初め、乱伐ではげ山になり、洪水の原因になったのをきっかけに、住民一体で緑化に取り組んだ。入山時期を限るなどのルールも定めた。戦後、住民が共同で管理する財産区制度に基づく森林として、地域の伝統を残してきた。
森は、田畑を潤す水源の機能を持つが、必要に応じて伐採もする。ヒノキは高値で売れ、収益で道路が整備され、学校にはピアノが入った。
間伐や枝切りなどは、今も「賦役」として各戸に割り当てられている。粂田さんも8月、下草刈りをした。慣れない手つきの大学生を見つけると、「苗木まで切るなよ」と声をかけた。「自分たちがしてもらったように、知識や技術を若い世代に伝えたい」
京都精華大学の三俣学・非常勤講師は「管理する組織やルールがきちんとしている。また、世代を超えて住民のつながりが強く、実際に恩恵を得ていることが、伝統が続いている理由だ。住民が森林を守る仕組みが保たれている数少ない事例だろう」と指摘する。
野焼きを応援
入会地などの「みんなの森」は、かつては各地に当たり前のようにあった。田んぼや畑から続く雑木林や小さな森、里山と呼ばれる最も身近な自然の多くが、そんな存在だった。多様な生物のすみかでもあった。日本人のふるさとの原風景といわれるゆえんだ。
しかし、明治以降、近代法の整備とともに、所有形態が私有や公有などに再編された。その動きは今も続いている。例えば、共有の財産区林は、1960年に全国で約56万ヘクタールあったが、90年には半減した。
共有地として残った場所も、農業の機械化や過疎化で利用価値がなくなり、多くは放置され、荒れるにまかされている。
所有の形はどうであれ、農村が受け継いできたものを、いかに維持していくか――。熊本県阿蘇では、約2万3千ヘクタールの草原を、新たな形で管理している。
草原は、農家が牛を放牧したり、飼料や田畑の肥料となる草を刈り取ったりすることでつくり上げてきた。良い草原を維持するには、野焼きや、延焼を防ぐため周囲の草を刈る輪地切りが欠かせない。それが高齢化で年々難しくなってきた。
90年代に入り、農村と都市の連携で草原を守ろうという運動が立ち上がり、99年、財団法人「阿蘇グリーンストック」が、都会の人たちが農家を手助けする「野焼きボランティア」を始めた。その輪は年々広がり、これまで延べ2千人以上が参加した。
仕掛け人の佐藤誠・熊本大学教授は「数千年間、人々が草原を守ってきたからこそ、自然が残り、年間1800万人が安らぎを求めて訪れる」。あるじである農村の手に余るのなら、客として恩恵を受けてきた都市が手伝うのは当然と考える。
ボランティアの応援は有力な助っ人だ。しかし、都会と田舎の意識のずれも生まれている。
地元の利益も
佐藤教授に協力してきた地元農家の山口力男さん(55)は最近、疑問を感じている。「ボランティアの人たちは自然に親しむため楽しく参加しているが、地元で暮らす者にとっては、直接、収入につながるものではない」。「牛が減っているのに、なぜ苦労して野焼きをするのか」といった不満も地元にくすぶる。
単なるボランティアとしての参加ではなく、地元の利益にもつながるような、持続的なかかわり方を構築できないか――。佐藤教授と山口さんの新たな課題だ。
ふるさとの環境を守ってきた先人の知恵を伝えていこうという試みが、各地で始まっている。乗り越えなければならない壁は多いが、世代や地域を超えた連携など、多様な協力関係を育てていくことが、資源管理の新たな潮流になるだろう。