水田や畑が一面に広がるタイ東北部のヤナーン村。約700人が住む村のはずれに、東京ドーム5個ほどの広さの「森」がある。
ここで、植林と野菜づくりが同時に始まって2年が過ぎた。数千本の樹木は、まだ人の背丈の2〜3倍ほど。木々の間には、20メートル四方ほどの狭い畑が点在する。村の34戸の農家が、サラダ菜やカボチャなどの野菜を少しずつ作っている。
約100本を植林したというナーン・ブッタウォンさん(52)は「木陰があると涼しく、畑仕事も楽しい。昔のような森が戻れば、キノコや薬草も採れるようになる」と、水をまく手を休めて楽しそうに話した。
この土地は形の上では国の所有だが、村人が自由に使える共有地だ。もともと、トラなど多くの動物がすむ深い森で、村人は精霊が宿る神聖な場所として敬ってきた。散策やキノコ採りなどに利用してきたが、樹木の伐採は「たたりがある」として避けてきた。
利益求め伐採
タブーが破られたのは1970年ごろだ。貨幣経済が村に押し寄せ、だれもが自分の農地を広げ、収入増を考えた。政府は輸出用飼料のキャッサバ栽培などを奨励した。
利用のルールがなかった共有地の森は、格好の標的になった。村人は先を争って畑を広げた。ナーンさんも我慢できなかった。「切らせてください」と祈りをささげたあと、木を切って火をつけた。村で一番豊かだった森は消えた。「先祖のことを忘れ、みんな目先の利益だけを考えた。とがめる人もいなかった」
だが、10年もしないうちに輸出用作物の価格は暴落した。化学肥料代などで借金が増えた村人は共有地の畑を次々に放棄した。あとには、荒れ地だけが残った。
その後、村を管轄する郡の掛け声で、製紙用チップの原料になるユーカリを植えた。「金のなる木」と呼ばれたが、「土壌が悪くなった」という指摘が相次ぎ、結局、村人の手で伐採した。
5年前、森を再生する計画が動き出した。当初は植林だけを考えたが、「森が復活するまでの経済的魅力も作るべきで、その方が愛着もわく」という意見が出た。植林と同時に、農薬や化学肥料の使用を抑えた野菜作りを進めることでまとまり、郡の同意も得た。
住民リーダーのチュアム・バットマートさん(49)は「自分たちが食べられない物ばかり作って借金だけが増えた。森と安定した暮らしを取り戻すには、村人が『森は生きる価値がある場所』という考えでまとまり、いつまでも続けられる土地利用の仕組みを作る必要があった」という。
住民で管理組織を作り、「木を切ったら、必ず植林する」などのルールも設けた。とれた野菜は、自家用のほか、農家が値段を決めて地域の朝市に出す。お金と食べ物が循環する形ができあがった。朝市作りは、日本のNGO(非政府組織)「日本国際ボランティアセンター」が支援した。
「100年」の決意
「100年の森」。孫子の代まで森を守る決意を込め、住民は今、共有地をこう呼んでいる。
タイ東北部のNGO「持続可能な資源管理プロジェクト」によると、60年代から90年代にかけ、東北部の保全林は3分の1に減った。かろうじて残った貴重な森林を守ると同時に、いかに再生させていくか。
同プロジェクトのウィパッタチャイ・ピムヒン氏は「森の食べ物を探すという文化が崩れ、森を守る動機が弱くなっている」と指摘する。
同氏らが、森がある地域とない地域の一日の食費を比較調査したところ、「森がある地域は、4分の1の25バーツ(約75円)しかかからなかった」という。こうしたデータを示し、各地の活動の支援に乗り出している。
そこに住む人たちがルールを作り、共同で資源を再生・管理していく――。ヤナーン村のような取り組みは、森と住民を結びつける。同じような試みはタイ各地で始まっており、少しずつだが、森林が再生しつつある。