台湾の政局が揺れている。陳水扁総統の親族に絡むスキャンダルから総統の地位、そして政権全体がゆさぶられている。
こうした台湾の政局を、日台関係への影響といった外交的見地からではなく、民主政治、自由と人権、法と正義の尊重という観点から見ると、政治的スキャンダルそのものよりも、その処理の仕方、とりわけ厳正な司法手続きの順守の有無や、政治的責任のとり方が重要な問題だといえる。
思えば、台湾での民主政治の定着には長い時間と幾多の試練が必要であった。
民主化のプロセスが、圧政と権威主義と封建遺制からの解放の過程であるとすれば、台湾の人々にとっての大きな試練は、第2次大戦の戦況が厳しくなる中で、日本の皇民化政策が一層強化された時、台湾の知識人を襲ったジレンマから始まったと言えるかもしれない。皇民化に同調した者、反抗した者、そして詩歌や音曲に身をゆだねた者――いろいろなタイプの反応があったようだ。
だからこそ、第2次大戦における日本の敗戦は、台湾にとっては、表面的には植民地支配からの解放であったとはいえ、真の意味で何からの解放であったのかは、必ずしも明確ではなかった。
そしてやってきた中国国民党の支配。抗日と反共を正統性の根拠とする政権は、台湾の民主化運動を抑圧した。
そして、中国国民党の「抑圧」から解放されたとき、台湾の人々は、台湾の自律性とは何かという、根源的問題に正面から向き合わねばならなくなった。こうして、過去のしがらみからの「解放」は、依然として台湾の人々の心の中にうずいている。
対岸の中国大陸においては、第2次大戦における日本軍の敗北と共産軍の勝利は、封建遺制と半植民地化した中国からの解放であり、泥沼の内戦と外国の干渉からの解放であった。だからこそ大陸中国では、「戦後」ではなく「解放後」をもって歴史の境目とするのだ。
しかし、その中国でも、「解放」後、文化大革命による大量の犠牲者の発生や、天安門事件による民主化運動の抑圧といった出来事の裏にあるものからの完全な「解放」は、いまだなされていない。
韓国にも、やや似た状況がある。日本の植民地支配からの解放と主権の回復(光復)は実現したが、その過程で、日本の植民地政策に多かれ少なかれ賛同した人々の責任は、かなりあいまいにされた。
また、その後の軍事政権下において、反共、反北朝鮮の旗印の下に、多くの民主化運動が抑圧されたことは、今さら言うまでもない。ここでも「解放」は、日本の支配からの解放ではあっても、自己の過去の完全な清算という意味での解放には至らなかった。
日本にとっても、8月15日は何だったのかがいつも問われる。それは、確かに爆撃と日常生活の困難、肉親の戦死――多くの犠牲を強いた「戦争」からの解放ではあった。しかし、それは、治安維持法や思想統制の桎梏(しっこく)からの真の解放でもあったと言えるであろうか。
日本を占領した米国は、(全体としては日本の民主と自由を奨励したとは言っても)原爆の被害報道を抑圧し、伝統芸能である歌舞伎まで白眼視し、レッドパージを断行した。
それらは、すべて「解放」のためだったとは言えないであろう。今日の時点から見れば、明治から昭和にかけての多くの封建遺制からの解放だけをもって、真の過去からの解放とは言えまい。
台湾も韓国も、中国も、そして日本も、今や、自己の過去のどの部分から自分は完全に解放され、どこのどの部分についてはいまだ解放されていないか、胸に手をあてて考えねばならないのではないか。そしてそれこそが、真の解放への道なのではあるまいか。
2007年 1月24日