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The Asahi Shimbun Asia Network
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 一線から
AANの研究チームが、取材・調査の過程で直面したこと、考えたことなどを、随時リポートします
その後の東ティモール
川崎 剛
2001年アジアネットワーク主査

東ティモール大の値上げ発表に抗議する学生たち
東ティモール大の値上げ発表に抗議する学生たち=02年9月、ディリで、川崎剛写す

 太陽がすでに真上から照りつける首都ディリの中心部、午前10時。オーストラリアが建設した国会議事堂と通りを隔てて向かい合う国立東ティモール大学の前で、リーダーがマイクに向かって気勢を上げている。演説に聴き入る学生たちの様子は10代から30代前半まで年齢がばらついているように見える。女性の姿が結構多い。

 政府が学費値上げを発表したことに抗議する集会である。10月から始まる新学期の登録手数料が、これまでの30米ドルから、在学生68ドル、新入生98ドルに、授業料は15ドルから50ドルに値上げされることが、前夜のラジオで発表された。

 学生は、1991年のインドネシア軍の住民虐殺事件後に高まった独立闘争で重要な役割を担った。02年5月20日に国連の暫定統治下から独立を達成した最も新しい国では、あらゆる集会で学生代表が政府代表に伍してあいさつを求められる。といっても、職のない東ティモールで、若者を大学に吸収することは「ある意味で治安対策」と政府幹部が、自嘲気味に認めたという話を聞いた。援助以外の産業が見つかるまで卒業した学生は、農村に帰ってほしい、と政府は思っているに違いないという見方が強い。バナナやタロイモが収穫できる農村なら、現金収入はなくても食べてはいけるのだ。

 グローバリゼーションが喧伝される21世紀の初頭に誕生した人口82万の東ティモールは、グローバリゼーションと市場経済に適応する能力を何も持っていないと言っていい。東ティモールの独立は、アジア金融危機と長年の独裁の記憶で不安定になったインドネシア政権に、1974年のポルトガル撤退以来東ティモール問題を軽視してきたことに負い目を感じる国際社会(とりわけオーストラリア)が圧力をかけて実現したフロックのようなものだ。

 独立を問うた99年8月の住民投票後、残留派に加担した民兵組織とインドネシア軍によって荒らされた治安が、国連平和維持活動(PKO)史上初めて、PKOによって回復できたことで、国連側に新生国家独立に一種の理想主義があったことは否めない。インドネシアの獄中から解放された解放闘争の指導者シャナナ・グスマオが初代大統領に就任し、そのカリスマ性もまぶしかった。

 独立後、国連の職員は続々撤退した。PKOも2004年には完全に終わる。通貨に選ばれた米ドルの現金収入を得る道は日に日に減っている。それでなくても、米5セント貨以下のコインが流通していないため、ルピア経済のインドネシアに比べると、物価は3倍以上高い感じがする。ビールは約2ドル50セント。

 授業料値上げの抗議集会や交渉要求に大学側は沈黙で応じた。収入がなくなると、すぐ公共料金の値上げを発表する政府のお手並み拝見と思ったのかも知れない。学生たちへの妥協だろうか、値上げ幅はその後ずっと縮小された。

 取れるところから取るしかないから、外国人に頼るしかない。雇用税、輸入税、サービス税の値上げ、公共料金の選別的な負担増が打ち出され、一攫千金を狙ってティモール入りしたシンガポールやマレーシア、大陸などからの華人商人は音を上げている。日本の援助で出来た発電所の維持がうまくいかないため、発電機が次々にこわれ、停電が夜ごと悪化。外国人向けのホテル、レストランや商店は引き上げ時と見ている様子だ。

 それにしても、政府は有能には見えない。グスマオ大統領も、アルカティリ首相も外遊が多い。9月末、東ティモールの国連加盟が認められ、ニューヨークで各国首脳を前に華やかなグスマオ大統領の姿は世界に知らされたが、ため息が聞こえる現地には、西側メディアはオーストラリアとポルトガルの通信員がいるだけだと聞いた。

 日刊紙「Timor Post」の編集長フーゴ・ダコスタさん(30)は、東ティモール大政治学部の学生でもある。インドネシア統治の末期に、新聞記者をしながら、地下活動にも加わった。ポスト紙は、公用語に定められたポルトガル語と島のテトン語、実用語であるインドネシア語と英語の四つの言葉で印刷されている。現地以外のニュース源は、ポルトガル通信とインターネット。しかし、20人のうちポルトガル語の読み書きが出来るのは年配記者の一人しかおらず、ダコスタ編集長もポルトガル語は分からない。ダコスタさんは、英、テトン、インドネシアの三つの言葉で記事を書く。きのうインドネシア語で載った記事が、きょう英語で載ったりする。9月にウェブ・サイトもつくった。しかし、教わったアドレスのwww.easttimorpost.comは機能していないようである。

 東ティモールは、20世紀ならば、地政学的な重要性を持つと言えたかも知れない。しかし、今の情勢ではどうなのだろうか。オーストラリアとの海底にある天然ガス、石油が順調に開発されれば、それなりに豊かになれるだろうが、当分援助を頼りにするしかないだろう。主要な援助国は日本とオーストラリア、そして影響力をねらうのは、PKOにも参加するシンガポール。中国には東アジアで初めての大使館が出来た。なぜか台湾の商人も目につく。インドネシアとの和解によって、インドネシア経済圏の西ティモールとの交流も必要だろう。

 支援国会議を主催したり、自衛隊を送ったり、グスマオ大統領がカリスマだから、というような「特別な」理由ではなく、普通の国として関わり続ける覚悟が日本には必要だと思う。現地では、JICAや自衛隊の評判は大変よかった。  

 インドネシア統治時代、山岳地帯に入った解放勢力鎮圧のため、インドネシア軍は山への攻撃を続けた。海岸はそれに比べ、ほとんど荒らされていない。砂浜から約50メートルで、藻林が始まり、沖合200メートルまで足がつく珊瑚礁につながる。そして、一気に深くなるディリ近郊のビーチにほとんど海水浴客はいなかった。透明度は高くない。しかし、内湾でとても穏やかな静かな海にそよぐ熱帯の風は、観光客が芋の子を洗うようにひしめきあっていた日本と東ティモールの中継点バリ島のクタ・ビーチでは、望むべくもない贅沢である。                               

2002年10月10日
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