黄砂・砂漠化の実情を現地に見たいと、今年9月、中国へ行った。そこで「またか」と思わされた。過去3回の中国取材と同じように、今回もまた、容易に資料をもらうことはできなかったのだ。
砂漠化問題を担当する中央政府の林業局幹部からの取材では、いろんな数字を書き取って話を聞いたあと、「間違えるといけないので、生のデータをほしい」と求めたが、案の定、断られた。その幹部は食事までごちそうしてくれ、実に親切な人なのに、なぜ、と思う。中国人の親切と情報出し渋り、この落差の大きさは理解に苦しむところだ。
中国取材でいつも資料入手に困るのは、私の力量不足かと思って北京の特派員に聞いてみると、どうも私のせいだけではなさそうだ。資料に関して言えば、特派員も随分と苦労しているようなのである。
昨年夏、黄河5000キロを河口から源流まで車、列車、飛行機を乗り継いで回った折も、資料入手がやはり難題だった。例えば、黄河を管理する河南省鄭州にある中央政府の黄河水利委員会。10人ほどの幹部が応接室にずらりと並んで応対してくれた。愛想はいいし、物腰も柔らかだ。だが、資料を求めると、途端に態度が一変する。返事は一様に「いま、手元にありません」だった。
それなら持って来てほしい。
「コンピューターに入っているので、すぐには見つからない」
あとでもいいから、もらいたい。
「確約はできない」
ざっと、こんな調子なのだ。
黄河は72年以降、毎年のように下流へ水の流れない「断流」現象が見られた。それが2000年に解消され、その後は下流にも水はある。私はそうした歴史を数字で追い、断流の原因、断流解消の理由を聞くとともに、根拠となるデータをもらいたかった。実はある程度の資料は日本から持って行ったのだが、最初はそれを示さず、取材に入った。しかし、居並ぶ幹部たちは口でいろんな数字を読み上げ、全部、それを書き取れと言う。幹部たちは手持ちの資料もなく、次々に数字を上げた。本当に信用できるのか。こちらの資料を示し、再度、強く資料を要求した。
日本でさえ、これだけのデータが分かるのだから、書いたものをほしい。
「あるとは思うが……。いまはない」
まさにのれんに腕押しの感である。
結局、日本から持っていった資料をそこで確認してもらい、後日、黄河水利委員会の公式資料を受け取る約束を取りつけたが、「資料を」「ない」といったやりとりで取材の多くを費やすのは何と不毛なことか。
これが学者となると、まるで異なる。日本と変わらず、資料を簡単に出してくれる。学問は常に国境を越えて探求される。そのためだろうが、その学者も、役人の情報出し渋りには困っているようだ。
「表から資料を求めても、なかなかくれない。知人を介して頼んでいる」と、私の親しい学者は漏らした。その学者は「税金を使って集めたデータは国民の共有財産という感覚が、中国の役所には欠けている。極端な場合、役所内でも共有していない。特定個人が自分の本を書くために資料を私物化しているケースさえある」と嘆いた。
米国でごみ汚染の取材をしたときのことを思いだす。政府環境庁を訪ねると、机の上にどさっと分厚い資料が積まれた。「米国全土の汚染地がすべてここに書いてあります」と担当者は言った。「ほかに必要な資料はありますか」とも続けた。
米国がすべていいとは思わないが、取材の際の情報入手に関して言えば、中国とは天と地ほどの差がある。中国へ行くと、情報を隠しがちな日本の役所でさえ、「何と開かれていることか」と見直してしまう。
中国の情報出し渋りが体制によるものか、あるいは中国人の慣習によるものか、乏しい中国体験ではよく分からない。ただ一つ確かなのは、正しい情報を正しい資料で伝えることなくして、みんなが問題を共有することはできず、学問の進歩も制限されるということである。それは環境問題を考えるときも同じだ。中国はいま、全土で緑化運動を展開している。しかし、砂漠化の実情や水不足の実態、なぜ緑化か、といった客観的なデータをきちんと国民に示さなければ、知恵は集まらない。運動の効果も半減しかねない。
誤解のないように書いておきたいが、情報提供を除けば、中国ではいつも親切にしてもらった。ともに食卓を囲んでも、中国の役人は気取らず、温かみのある人たちが少なくない。それだけに、こうした情報秘匿の役所体質を惜しむ。
その中国もインターネットのホームページにはかなりの情報を出すようになり、書店には政府の役人が書いた本がずらりと並ぶ。徐々に変わりつつあることは間違いない。「情報公開」がさらに進むことを期待したい。
いずれまた訪れる中国では、たくさんの資料をもらえるようになっているだろうか。