私たちのチームは9月に、朝日新聞で「本格的な『開国』の覚悟がこれから日本人に必要だ」というテーマの特集を発表しました(このホームページでもご覧になれます)。これからほぼひと月に一度の割合で同じような特集をまとめていきます。10月は20日(月)の朝刊で、このところ動きが急速に活発化してきたアジアでの自由貿易協定(FTA)締結について、私たちの考えを発表する予定です。
冷戦崩壊後、「日本に第3の開国が迫られている」と早くから唱えてきた評論家(最近では歴史家の趣が強くなっていますが)で麗沢大学教授の松本健一さんを囲む勉強会を開きました。
松本さんは、パトリ(ふるさと)を愛する気持ちを健全なパトリオティズム(愛郷心)として、その限りにおいて「愛国心」も当然のことながら尊重します。
お話を聞いていて私なりに考えたのは、急速なグローバル化に伴って世界的な規模で「共同体」が揺らぎ、あるいは崩壊に瀕している時代に「開国する」ことの難しさでした。
共同体とは、つまりは「ふるさと」です。自分のありようがそこの風土、文化、歴史によって決定され、自分というもののアイデンティティのよりどころになっている場所(いつも思うのですが、アイデンティティのぴたっとした日本語訳が欲しいですね)。そこでは文句なく自分がくつろぐことができ、心も安定する。多くの人々がそうした場所を持っている社会は安定している、といえる。ただ日本では1964年を境に状況は変わってきたと松本さんは見ています。
それまで色濃く残っていた農村共同体の空気が、産業構造の激変に伴って変わっていく。かつての共同体に代わるものとして、それでも多くの人には「カイシャ」があったけれど、90年代からの経済停滞の長期化でそれにも頼れなくなってきた。そうした「寄る辺ない感じ」が、昨今の日本社会に漂っているのかもしれません。そういう社会が「開国」が迫られるとどうなるか。
松本さんはハンチントンのことばとして、アイデンティティが危機に瀕した社会は「外に敵を作ることでアイデンティティを回復しようとする」をあげました。確かに、「敵」は内外を隔てる輪郭をとりあえず回復させる。最近、日本社会での排外主義が芽生える兆しがあるとすれば、こうした心理的メカニズムを考えれば納得もいきます。
けれど、今後一層加速していくことは確実な経済や情報、さらには文化のグローバル化に応じて、排外主義が高まっていくならば、「開く」とは正反対の現象が生まれてしまいます。それを避けるためにはどうすればよいのか。
松本さんの考えは、結局、日本人なら日本人のアイデンティティを再確認することが必要だ、ということだと私は受け止めました。「ひとつの固まった体系を知らないと別の体系を理解できないから」。つまりは、「閉じる」ためではなく、「開く」ためにこそアイデンティティが必要だ、ということです。その「再確認」の作業と日本での地方分権、地方自治や地域ボランティアを活性化させる動きなどとは絡んでいると私は思うのですが、この点については私たちのチームでこれから考えを詰めていきます。
松本さんはまた、21世紀の可能性として「アジア共同体」まで視野に入れているようです。FTAなどでますます一体化していく経済を「接着剤」として、アジア全体で共通の課題となっていくだろう環境、食糧、エネルギー、人口問題などを常時話し合うための「アジア・コモンハウス(共通の家)」といった機関ができればいい、と語りました。
身のまわりの身近なところに「ふるさと」「共同体」が再構築でき、そしてそれを大きなところで束ねるものとして「アジア共同体」というものができれば、アジアの人々が開き合いながら共存、共生していくことは可能になる、という将来の理想像が見えたような気がしました。その実現には多くの時間や努力が必要なのでしょうが。
最後に、松本さんの「近代アジア精神史の試み」(1994年)の締めの文章を紹介します。発表されて10年近くを経て、グローバル化という名の「アメリカ化」が進み、国際社会での米国一極集中のマイナスなどが際だってきたなかで、この言葉はますます大きな意味を持ってきているのではないでしょうか。
「西洋のみが主体となった、リベラルな民主主義という普遍性を掲げての『歴史』は終わりをつげ、日本もふくめたアジア諸国が保持してきたそれぞれの地域固有性の原理にのっとった現地化による『繁栄』が、これからの世界史をつくる、ということである。もっといえば『世界史のゲーム』のなかに、初めてアジアが主体として登場しはじめたのである」