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 一線から
AANの研究チームが、取材・調査の過程で直面したこと、考えたことなどを、随時リポートします
生身の在日韓国・朝鮮人描いた連載160回

前川 恵司
朝日新聞電子電波メディア本部員(元AAN幹事)

まえかわ・けいじ
1971年入社。出版写真部、宇都宮支局、大阪写真部、福島、川崎支局、週刊朝日を経て、ソウル特派員、記事審査部次長、田園都市支局長、朝日新聞シンガポール社社長など。著書は『韓国・朝鮮人』のほか『なぜだ韓国 なるほど韓国』。

川崎支局時代の連載記事「韓国・朝鮮人」は1979年10月から1年間、160回続きました。連載後、創樹社から出版され、87年には、講談社から文庫本化されました。

文庫版の裏表紙で、「半世紀を越える『在日』韓国・朝鮮人の歴史と現実を、日常の暮らしの中に入って取材し、一人ひとりの生きる喜びと心情を伝える生活レポート」と紹介してくれています。

当時、「韓国・朝鮮人」はまだなじみの薄い言葉でした。一種の造語でしたが、連載と、単行本で12刷、文庫で6刷と重なる中で独人歩きし、いまではすっかり世間に定着したようです。

報道と実相の落差に 驚きと違和感 生涯のテーマになった

連載は、ほとんど取材期間もないままスタートしました。しかし、私には満を持した船出でした。

いつも、自分ができる範囲の、在日や朝鮮半島にかかわるテーマを見つけて取材していました。川崎支局の前の福島支局では、戦時下に朝鮮人労働者が働かされていた現場とその実相を知る一世を取材して歩きました。男子児童が性衝動で女子児童を殺したとされた事件で、その少年が貧しい在日韓国人の子どもと気付いて、再取材の結果、真相は警察発表とはまるで違うと報じたこともあります。

その前の任地では、森永ヒ素ミルク中毒の後遺症で知的障害になった娘と一緒に、夜間中学で机を並べる在日の工場主と出会いました。政治的な立場を超え祖国統一運動を続ける在日二世たちの群像を追ったこともあります。

もっとさかのぼれば、日本のマスコミの多くが「軍事独裁政権の圧制下、服従と沈黙に支配された国」と報じていた韓国で、いまでいうホームステイを繰り返した学生時代の実感にたどりつきます。激しい日韓正常化反対デモがきっかけで興味をもった反日の国は、ずいぶんとエネルギーにあふれ、あるときはもちろん小ずるく、したたかに生きる人々であふれていました。マスコミが報じる「韓国」と実相との落差。その驚きと違和感が、自分のテーマとなり、生身の在日の姿を伝えようとする連載の構想に育っていきました。

連載を始めたころは、朝鮮問題は、韓国支持か北朝鮮支持か、取材者までもすぐ色分けされる、センシティブな側面が濃いものでした。在日問題は、タブーのひとつでもあったと思います。書き損じると、本社ロビーが抗議の怒号に埋まりかねない、と思い込んでいる人たちもいました。実名で登場する人たちが、現実をありのままに伝える連載をいつか書けると思いながら、その挑戦をさせてくれる支局長と出会えるのを、ありていにいえば待っていたのです。

その年の春ごろに、大久保元三郎支局長がやってきました。秋の連載を何にするか尋ねられたとき、「川崎は、東日本最大の在日朝鮮人の多住地区ですから」と話しました。半年間、支局長を「観察」した結果を信じて、賭けたのです。

神奈川県内版は地域ごとに版が分かれています。連載は最初、川崎版だけで始まりました。川崎版のみなら川崎支局長としての判断で掲載できました。まもなく、他の版地域の読者から「韓国・朝鮮人の連載が載っていないのはどうして」との問い合わせなどが相次ぎ、他の版でも追いかけて掲載となり、全県共通に「昇格」しました。タイトルも一回目は「かわさき」。それでは主題が分からないと、2回目で「韓国・朝鮮人かわさき」と変わり、全県共通になり「韓国・朝鮮人」になったと思います。そんな経緯も懐かしいです。

連載は、3部構成で、第1部は日本名で高校に通っていた「在日」二世が、民族の一人として生きていこうと決意して、内証だった自分の実名を教室で宣言するまでの心の軌跡を中心に、日本の公立学校に通う子どもたちが直面する問題と、それに立ち向かう親や先生たちを取材しました。

第2部は、焼き肉屋、鉄くず業者、パチンコ店主など、植民地下の朝鮮から裸一貫で渡日、差別と偏見のなかを生き抜いてきた一世たちの生活史。祖国や日本社会の現実を見つめながら、自分たちの生き方を模索する二世、三世が第3部の主人公でした。

激辛ドジョウスープを そのままぺろり 「本当に日本人か」

取材した人たちは、連載回数をはるかに超えましたが、誰一人にも過去の取材体験や韓国体験などは話しませんでした。すでに説明したように、そうしたことがすぐ色分けの材料にされたからです。 ある時、私がものすごく辛いドジョウスープをそのまま平らげると、「本当に日本人か」と真顔できかれました。すでに、ホームステイ先で辛さには鍛えられていたのですが、あのころは日本人が韓国の家庭料理をぺろりと食べられるのが不思議だったのでしょう。

第2部に登場した焼き肉屋の女主人は、無口なおばあさんでした。掲載後も、黙々と肉の味付けを続けているだけでしたが、息子さんが、「ばあちゃん、店を閉めると、飽きることなく自分の記事をみているよ」と教えてくれました。私の子どもを連れて行くといつも、目をほそめて一緒に遊んでくれました。亡くなったあとに、「自分の孫を抱っこしたことはなかったのに……」と聞きました。

連載後、舞台となった川崎、横浜の両市、神奈川県などは、民族差別や偏見を地域からなくす施策を積極的に進めました。日本人と韓国・朝鮮人の子どもが一緒に過ごす施設も誕生。外国人登録証での指紋押捺の廃止などにも前向きに取り組むようになりました。大阪府教委の副読本に連載の一部が転載されたのもうれしかったです。


2005年12月15日

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