ここから本文エリア

現在位置:asahi.com>国際>AAN> 一線から

朝日新聞アジアネットワーク
一線から

研究の過程で考えたことなどを随時リポート

東京(1964)、ソウル(1988)、北京(2008)

五輪は東アジア情勢に何をもたらしたのか、もたらすか

−SGRAフォーラム「オリンピックと東アジアの平和繁栄」を聴いて

川崎 剛
朝日新聞ジャーナリスト学校アジアネットワーク担当部長

2008年07月25日

 約20年ごとにアジアで開かれてきたオリンピックは、開催国の発展だけでなく、アジアの地域情勢に深くかかわっていたに違いない・・・。7月20日、軽井沢で開かれた関口グローバル研究会(SGRA)の第32回研修会(フォーラム)がそのような問題設定で開かれると聞いたので、参加させてもらった。世界の関心は、8月8日から開かれる北京オリンピックがどうなり、そのことによって中国はどう変わるか、ということだろう。だが、アジアで開かれたこれまでのオリンピックをさまざまな視点からふり返ったときに、思い出すべきことも多いことを教えられた。

 報告者とテーマは次の通り。(総合司会:ナム・キジョン 韓国国民大国際学部副教授)

 ・「オリンピック運動の内破と東アジアの諸問題」(清水諭 筑波大大学院人間総合科学研究科准教授)
 ・「日本からみたオリンピック −東京オリンピックと1960年代の東アジア−」(池田慎太郎 広島市立大国際学部准教授)
   (コメンテーター:ジョン・ジンホ 韓国光云大助教授)
 ・「韓国から見た東アジアのオリンピック:2028年の平壌オリンピック?」(パク・ヨンジュン 韓国国防大副教授)
   (コメンテーター:李鋼哲 北陸大未来創造学部教授)
 ・「北京オリンピックが中国にもたらすもの」(劉傑 早稲田大社会科学総合学術院教授)
   (コメンテーター:木宮正史 東京大総合文化研究課准教授)

 総合司会のナムさんは冒頭、オリンピックが(1)戦争と平和の問題に深くかかわっている(2)開催国の政治的安定、経済発展、国際的な地位向上をもたらしてきた(3)日本、韓国、中国の順に開催国が移り、東アジアの政治的、経済的変化を誘発してきた、と今回のテーマを設定したことを説明した。

《東京大会(1964年)》

 清水さんは、4月26日の長野の聖火リレーをめぐる事態を分析。賛成、反対両側にさまざまな人々がいることや、聖火リレーが政治的な場となっていることを認識しながら、支援企業との契約で聖火リレーを拒否できないアスリートや著名人たちの苦悩も語った。オリンピック憲章と現実とのずれは、ベルリン大会(1936年)のヒトラー政権とユダヤ人の排斥やミュンヘン大会(1972年)のパレスチナ・ゲリラによるイスラエル選手団襲撃事件、ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻で西側諸国がボイコットしたモスクワ大会(1980年)、その報復で東側諸国が参加しなかったロサンゼルス大会(1984年)など、毎回指摘されてきた。一方で美化された選手のイメージは、グローバル企業の「ロゴ」となり、一方では開催するのに軍や警察、巨大な監視システムが必要な現状などで、「オリンピック運動が内から破れている(implosion)」と語った。

 また、「平和と友好」「首都東京の構築と経済成長」をかかげた東京大会の時に、アメリカの施政権下にあった沖縄での聖火リレーにどのような議論があったのか。また、オリンピックの強化選手だった坂井義則さんが代表選考で落ち、1945年8月6日に広島から約70キロ離れた三次市で生まれた「アトミック・ボーイ」であったことから、聖火最終走者に選ばれたことなど、政治をめぐるさまざまな思惑をときほぐした。スポーツ大会にからんで、清水さんが並べた東アジアのメガイベントのメモは参考になる。

 ・中国と台湾の関係性にまつわる呼称、国旗問題
 ・南北朝鮮の統一チーム結成、統一旗、統一行進などの問題
 ・歴史認識、靖国問題、拉致、核開発などが複雑にからむ日本と中国、北朝鮮、韓国の問題
 ・在日朝鮮人など外国籍選手や監督、学校に対する処遇
 ・東アジアにある米軍基地の存在と米軍兵士による犯罪
 ・911事件後の情勢
 ・政治家によるナショナリズムをあおる発言
 ・首相をはじめとする政治家のスポーツイベントへの参加と発言

などだ。

写真
アジア五輪の意義をめぐって活発な議論が続いた=7月20日、長野県軽井沢町で

 池田さんは、1964年に実際に東京大会が開かれるまでの経過を分析した。1940年に東京大会が予定されていたが、中国大陸への日本への侵略は開催を不可能にした。戦後初めてオリンピックに復帰したヘルシンキ大会(1952年)、OECD加盟とIMF東京総会開催(ともに1964年)など、東京大会を準備してきた出来事がよくわかった。しかし、当時の日本のアジアとの関係では、オリンピックを東アジアの平和と安定に役立てるという考慮はなかった。東京大会をアジアの周辺国からみたら、戦争からの復興に苦しむ周辺国や日中戦争でアジアに残した負の過去を忘却して「自分だけ」の繁栄を楽しむセルフィッシュなものだったと、思えたかもしれない。

 東京大会前後の東アジア情勢には激しい動きがあった。1958年には台湾との呼称問題でIOCを脱退した中国が東京大会(1964年)の会期中に核実験を行った。1965年には米ジョンソン政権の北爆開始、佐藤首相の沖縄訪問、日韓国交回復、インドネシアのスカルノ失脚があった。1968年にはマラソン選手の円谷幸吉さんが自殺し、プエブロ号事件があり、1969年にはニクソン・ドクトリンと沖縄返還合意があった。そして1971年には米中が日本の頭越しに接近を果たした。1972年に沖縄が返還され、引退した佐藤首相の後継の田中角栄首相により日中国交回復(日台断交)が行われた。

《ソウル大会(1988)》

 ソウル大会を準備する過程で、韓国は東京大会を最も参考にした、とパク・ヨンジュンさんは分析した。「わが国は東京オリンピックを緻密に観察し、参考にしなければいけない」(李世基・韓国オリンピック特別委員長が1984年に著した『オリンピックと国家発展』)

 1979年、韓国政府の国民体育振興審議委員会が(1)国民の団結(2)共産主義国家との交流拡大(3)対北朝鮮の優位確保のためにオリンピック開催が望ましいと諮問し、朴大統領が方針を決めたのは、大統領が暗殺される一ヶ月前の8月だった。当時の資料によると、東京大会(1964年)のころの日本の一人あたり国民所得は1115ドル、メキシコ大会(1968年)の時のメキシコの一人あたり国民所得631ドル。それに比べ、1978年の韓国の一人あたり国民所得は1242ドルで、開催は十分可能と判断したのだった。

 1986年、アジアのプレ五輪である第10回アジア競技大会がソウルで開かれ、国交のない中国から直行の特別機が大代表団をつれてソウル・金浦空港に降り立った。中韓は猛烈なメダル争奪戦を繰り広げ、韓国民はそれまで直接は触れられなかった巨大な隣人の中国の素顔を知ったのだった。コメンテーターの木宮さんは、1988年の五輪本番のころ、ソウルに留学中だった。木宮さんが紹介したのは、ボクシングの試合で韓国選手が判定に抗議してリングに座り込み、審判は群衆に取り囲まれた事件だった。多くの韓国民がその晩はそれを支持する雰囲気だったが、翌日論調が「こんな行為をしてはいけない」と変わった。「韓国社会の国際化のきっかけになるある種の変化があの日」と木宮さんは語った。「世界からどう見られているか」、「自分たちの主張が第3者に理解される普遍的な妥当性を持っているか」という価値基準が韓国の愛国主義に加わったのだろう。木宮さんは、オリンピックがソフトパワーに通じるとして、中国がソフトパワーとしてどう変わっていくか、中国にどのような大国になってほしいかという東アジアからの視線が重要だと話した。

 パクさんの分析に戻る。ソウル大会後、韓国は中国、ソ連、旧東欧諸国との関係拡大をはかる北方政策と国連加入外交だった。1990年、ソ連との外交関係樹立、1991年の韓国と北朝鮮の国連同時加盟、1992年の中国との国交樹立を果たした。そして、オリンピック開催の興奮は、民主化にも影響し、1987年暮れの大統領直接選挙の実現をもたらしたのだった。パクさんは、日本と韓国がオリンピックをきっかけに世界に開かれた社会、個人の自立性が高まる民主化された国、豊かな国になったとして、北京大会後の中国の変化にも注目しているのだが、約20年の周期で東アジアに好影響をもたらしてきたオリンピック運動で、「たとえば2028年に平壌でオリンピックが開くことができたら」という大胆な期待も表明した。

《北京大会(2008年)》

写真
北京五輪のインパクトを語る劉傑早大教授

 「北京オリンピックが中国にもたらすもの」というテーマで語った劉傑さんは、北京大会は中国のさまざまな問題をありのまま世界に示し、自らを変えていこうとするありがたい機会だとして、さまざまな矛盾や対立を国際社会の協調の中で議論して解決していかなければならないという自覚を中国はすでに持っていると分析した。しかし、3月のチベット自治区の蜂起事件を受けて、世界が聖火リレーにあれほど反発したことは、中国には驚きだった。21世紀の中国の国家目標である(1)近代国家建設(2)統一の実現(3)国際貢献に加え、自分たちを「東亜の病人」と見なさざるをえなかった「屈辱的な歴史」との決別を実現できるかどうか、四川大地震という未曾有の災害など障害を乗り越えてどう前進するか、世界が注目している。

 劉さんによると、地域格差や共産党幹部の腐敗、人権・権利意識の高揚などが生んだ「官民対立」の国民感情や、急速な経済発展による中国の台頭が、中国を見る人にある種の脅威感・圧迫感を与える。その中で、知的所有権や中国食品の安全性問題がもたらした「国際社会のルールを守らない中国」というイメージと実態をどう変えていくかが課題だ。オリンピック後に中国がどう答えていくか、劉さんは(1)全面的な引き締めによる危機の克服(2)官民対話の克服(3)対外協調と対内引き締めのバランスを取りながら舵取りをする、という3つのシナリオを示した。

 また、劉さんは(1)内と外(2)法治と人治(3)自由化(放)と引き締め(収)、という互いに対立する概念によって現在の中国社会を分析した。「内と外」では国内安定と国際協調を同時に追求しながら、国内安定を最優先せざるを得ない事情は理解できる。「法治と人治」では、人治のメカニズムで法治の目標を達成できるか。そして「放と収」では、制度改革や学術、中央政府の側面では「放」として自由化を進めるが、政治改革、メディア、共産党の地方政府では「収」として引き締める、など、「安定と変革(革命ではない)」のスローガンを掲げながら、不透明性の中で透明性を高めていく微妙な舵取りをめざす大国中国を描写した。

 SGRAは、世界各国から日本に留学し、長い留学生活を経て日本の大学院から博士号を取得した研究者が中心となって2000年7月に設立されたユニークな研究会だ。討論では、東南アジアからの参加者から「シンガポールはカネはあるが場所はない、ベトナムはカネがない。そして東南アジア諸国はメダルが取れないから、日中韓ほどオリンピックに熱中していない」と打ち明けた。日韓中とオリンピックと伴走しながら、近代化を果たしてきた東アジアは、そのような東南アジアの感情をもっと理解してもいい。2016年に東京は名乗りをあげているが、「自分たち」のことばかりでなく、「アジアの他者たち」をどれだけ考えているかが、課題であることがよくわかった。

 このフォーラムはSGRAリポートとして、ウェブサイトで公開される。

このページのトップに戻る