今回の日本の教科書問題に関する中国政府の対応は、その報道ぶりからみてもこれまでのところは、総じて抑制的といえる。98年以降日中関係の改善に力を入れている中国の基本姿勢は今も変わっていないとみてよかろう。注目すべきは、中国の歴史の教育と研究現場で従来の発想と枠を超えた新しい風が吹き始めていることである。
上海などの「発達地区」で数年前から、「中国史」と「世界史」の垣根を取り外した新高校教科書「歴史」(上下)が編さんされている。
その特徴は、中国史を世界史の中で相対化してとらえ、また15世紀の大航海の時代から説き始めていることだ。
これまでのように中国史を特別に強調しなくなった理由は、21世紀のこのグローバルな時代の流れに、自国史中心の歴史教科書はもはやそぐわないということにある。
また、歴史研究にも多様な視角が用いられるようになった。一例が戦前の中国各地にあった諸外国の租界だ。かつては、外国の対中国侵略の象徴として批判的に取り上げるだけだった。が、最近の研究者は、侵略的性格を指摘する一方、西洋の思想、文化、技術を導入する窓口としての租界に注目する。
これらは中国の多元化の地殻変動を象徴する事例といってよい。対日外交をめぐる論議にも余波は表れている。対日外交は、古くは周恩来首相を始めとする指導層の強いリーダーシップで展開された。
周恩来は、日本の近代には「帝国主義的近代」と「文明開化的近代」の二つの側面があることを明確に認識していた。日本の近代化の総過程を否定せず、日本人全体の謝罪も求めなかった。
「侵略の過ちを犯したのは『一握りの軍国主義者』であり、一般の日本国民も戦争の被害者だ。『軍国主義者』が日本の近代化を利用したのであり、日本の近代化が直接軍国主義を生み出したのではない」という考え方である。
戦後の中国国民は半植民地の状態から抜け出し独立国家をつくり上げた誇りと新中国建国の歓喜の中で、心情的には被害者というよりまず勝利者だった。歴史問題に心理的余裕を持って対処しやすい状況にあった。
しかし、多元化が進むなかで最近は72年までの日中和解のプロセス自体を見直す意見が出ている。「一握りの軍国主義者」論に疑問を呈する主張はその象徴といえる。
教科書問題への対応として中国の研究者の間では、日中韓3国の教育担当政府機関が監督する「東亜中学歴史教科書編集委員会」の設立構想が提案されている。広く意見を交換し、共通認識のみ記載、合意できなかったことは各国の意見を併記する。それが各国の歴史の見方を知り、相互理解の促進にも役立つとの意見だ。
提案の理由は以下のようなものだ。
(1)日本とアジアは変化し、少数の右翼的観点はアジアの大多数の人々の見方を支配できない(2)アジアの若者を信じるべきだ。彼らは、旧世代より公正に歴史を評価する力がある(3)教科書問題の悪循環を断ち切るべきだ。その作業をしないと、摩擦はいつでも再発する。
多国間の歴史学者の交流は歴史遺産をより完全な形で後世に伝承する手段だ。そして、このような知的作業をリードする実力を持っているのは日本である。新時代のアジア研究は相手を冷静に観察して知り、自分を相手に正確に伝える姿勢が求められる。
日中間では、多方面の専門的知識を持った中国通と日本通の人材を育成する。両国はまず当面のこの急務から取り組まなければならない。
<日中共同宣言> 98年11月に来日した江沢民・国家主席と小渕恵三首相が発表。「日本側が過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、深い反省を表明した」との歴史認識を示した。外交文書に「侵略」の表現が盛り込まれたのは初めて。しかし、中国が求めた「おわび」は入らず、中国側による「平和国家・日本」の評価も原案から削られた。