今月から自衛隊の平和維持部隊(PKO)が展開、5月にはアジアの新たな独立国として出発する東ティモール。ジェノサイド(集団殺害)や戦争犯罪など、紛争における非人道行為を裁く国際人道法の「実験」が、ここで進んでいる。
インドネシア統治下から独立を決めた99年の住民投票後に、騒乱状態の中で虐殺やレイプが起きた。これらの深刻な事件を対象にした特別法廷が00年、国連暫定行政機構の下で作られた。
国際人道法によって個人の責任を問う史上初の常設国際機関として、国際刑事裁判所(ICC)を設立する条約が近く発効する。東ティモールの法廷が使う法例はこの条約をそっくり援用し、同法廷のスチュアート・アルフォード検事は「事実上ICC条約が適用された世界第1号だ」と胸を張る。
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ところが、いまのところ、アジアでこの条約を批准したのはタジキスタン1カ国にとどまる。
米国は、ICCについて「米兵が訴追されかねない」との理由で強硬に反対している。議会保守派が、条約批准国への軍事協力停止をちらつかせたこともある。
日本は01年末の期限までに条約に署名すらせず、批准のめどは立っていない。戦争犯罪に関するジュネーブ条約の関連国内法がなく、対象を内戦に広げた追加議定書も米国と並んで未批准のまま。ICC加盟どころか「ジュネーブ条約の関連国内法整備が先決」(外務省)という状態だ。
過去に責任を負う指導者を免罪していては、和解への対話は進まない。未清算の歴史は信頼醸成を阻み、将来の平和構築を難しくする。
旧ユーゴや東ティモールなど、冷戦後の大規模な国際平和維持活動の例をみても、虐殺などの責任の所在を明確化する何らかの法律的な枠組みが併存している。国際人道法の視点をアジアでも協調的安全保障に組み込んでいく必要がある。
ことに日本は、非軍事国家として過去との決別を明確にする必要性があるからこそ、一刻も早いICC加盟が求められる。そこに至る前提として、ジュネーブ条約の追加議定書をまず批准するべきだ。この問題で日本が消極的な姿勢を続けるならば、それは「過去」への無自覚の反映として受け止められかねない。
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もっとも、国際人道法の理想も、現実には一方的な「勝者の裁き」となり、反感を生んだあげく、歴史をめぐる幅広い対話の道を閉ざしてしまう恐れは少なくない。
99年のユーゴ空爆では「人道」がうたわれ、反テロ戦争では「正義」が掲げられた。こうした動きはとかく単純な善悪二元論に傾きがちで、現実の国際政治の中では、米国を中心とする一極支配の強化につながる危険もある。
特にアジアでは、「人権」「人道」が、欧米による価値観の押しつけではないかという警戒感は根強い。主権と内政不干渉の原則にこだわる中国の念頭にあるのも、かつて帝国主義に主権を踏みにじられた歴史だ。テロ問題で国際裁判を認めようとしない米国の単独行動主義は、こうした疑念を強めかねない。
だが、無抵抗の市民の虐殺など、どんな文化でも認めようのない一線はやはりある。大沼保昭・東京大教授は、アジアの異なる文化の底に流れる普遍性に立脚した「文際的人権観」を築くことを提唱する。国家に縛られた「国際人権体制」を超えた正統性をめざす。日本はそうした営みにこそ指導力を発揮するべきだ。