現在位置:asahi.com>国際>魅惑大陸アフリカ>モザイクアフリカ> 記事 ルワンダ―記憶と向き合う人々2008年01月18日 NGO「アフリカ平和再建委員会」事務局長・小峯茂嗣 2003年12月、私はルワンダの首都キガリに滞在していた。所属するNGO「アフリカ平和再建委員会(ARC)」の短期調査のためである。滞在中は、とにかく色々な人が訪ねてくる。NGOスタッフとして雇ってほしいという人や、自分たちの活動を支援してほしいという人、はたまた怪しげな商売の話を持ち込んでくる人などである。しかしこの年にはちょっと変わった訪問者が来た。その時も私は、(ああ、また活動への協力の依頼かな)程度にしか思っていなかったが、彼はこう言うのであった。
「あなた、映画に出てみませんか?」 「え、エイガ?」と私。なにしろキガリには映画館というものがなく、やっとこの時期に一つできたばかりであった。ルワンダでルワンダ人が映画を作るなど、まったく思いもよらない話であった。 「そう、映画のエキストラを探しているんですよ。ルワンダのジェノサイドのことを扱った映画です。」 「そ、そうですか。でも僕は見てのとおりアジア人ですよ。私がルワンダが舞台の映画でどんな役をできるというのですか?」 「おー、心配いりません。国連平和維持軍として派遣されたパキスタン兵の役をやってください!」 「・・・」 ルワンダでアジア人を見かけることはめったにない。どうやら彼は、「希少価値のアジア人」の一人として私に目を付けたようだったのだが、私は撮影が始まる前に日本に帰国しなければならなかった。私の銀幕デビューは幻に終わった。 しかしこの年以降、「ルワンダもの」映画が続々と登場し、一部は日本でも上映された。 “Hotel Rwanda(邦題「ホテル・ルワンダ」)”(2004)、“Shooting Dogs(邦題「ルワンダの涙」)”(2005)、“Sometimes in April”(2005)等である。すべて、ルワンダのジェノサイドを扱ったものである。これらが欧米の映画人によって作られたのに対し、ルワンダの映画人もまた、予算などの制約がある中、ルワンダ人としてジェノサイドを正面から扱う映像作りに取り組むようになった。13年の時間の経過によって、ようやく人々は過去の忌まわしい記憶と向き合うことができるようになっていったのだろうか。 ルワンダでは過去の記憶をしのばせるものとして、全国いたるところに「ジェノサイド・メモリアル」と呼ばれる追悼施設がある。そこでは、人々が殺された教会や学校の跡地に遺骨や遺品が「展示」されている。これらは、ジェノサイドの記憶を風化させないための取り組みであり、このようなことを二度と起こすまいという象徴的な施設である。広島の原爆ドームと同じような意味合いを持つものといえよう。しかしこのように過去の記憶を温存することは、一方で人々の心の中にもつらい記憶をとどめることでもある。1999年、私はルワンダ人の友人とともにジェノサイド・メモリアルを訪れたことがある。そこは教会の跡地で、救いを求めたツチの人々が惨殺された所である。ジェノサイドから5年を経ており、遺体はすべて白骨化していた。しかし物を言わない無数の遺骨が、かえって雄弁に真実を語りかけているような気がした。そして友人はこう言った。「コミネ。ジェノサイドで家族を失った人はこれを見ても、加害者と和解することができると思うかい?」。彼の言葉に私は何も言えなかった。 和解―ジェノサイド後に発足した新政府は、「国民和解」を新国家建設の旗印に掲げた。ルワンダ人すべては同じ国民として協力し、新しいルワンダを作っていこうというものである。ジェノサイドという事件を法的に処理し、国民の和解を促していく政府の取り組みが、「ガチャチャ」という大衆裁判である。現在ルワンダ全土の村々で、約一万か所の「青空裁判」が行われている。一見すると村の寄り合いであるが、それぞれの地域で加害者の当時の行為を住民が証言していくのである。進行は、村の中で選挙で選ばれた判事団が行い、そこでの証言によって事実を明らかにし、量刑が行われるのである。 しかしガチャチャに参加する人の多くは、加害者に刑罰が下ること自体には関心が低いようだった。私はガチャチャの会場を訪れ、人々の話を聞いたことがある。その時にほとんどの人が言っていたのは、自分の家族の最後の様子のことを知りたいとか、家族の遺体が今どこにあるのか知りたいという理由で参加しているということであった。そしてそういった事実が明らかにされ、加害者が謝罪するのなら、「ゆるす」と言っていた。 もちろん、すべての生存者が加害者をゆるすなどということは容易なことではない。ジェノサイドによって父親を失ったルワンダ人の友人に聞いてみた。 「お父さんを殺した人をゆるせるの?」 彼は胸に手をあててこう言った。 「このあたりにはまだ、わだかまりはあるよ。でもね、もう殺し合いはいやだ」。 ジェノサイドから14年がたとうとしている今でも、人々は心の中に葛藤を抱えている。 そんな中でもかすかな光を見出すときがある。 ARCが行ってきた戦争寡婦のための洋裁学校の卒業生は、ジェノサイドの時に隣人に自分の親類を殺された。彼女はその殺人者の家族の近所に今も暮らしている。ある日彼女は、その殺人者の家族に、「あなたもこの洋裁学校に通ってごらんなさいよ」と話しかけたという。彼女は洋裁という専門技術を身につけたことで、未来にわずかでも希望を見出し、そのことによって過去という呪縛から一歩を踏み出したのかもしれない。 ルワンダは今では、国内の治安も安定し、経済成長も続いている。20世紀最大のジェノサイドを起こしたと呼ばれる国は、平和構築の成功例とまで言われる。しかし今でも多くの人は過去の記憶と向き合いながら生きているのである。
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