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モザイクアフリカ

アフリカ最西端の生ガキ

2008年02月19日

ジャーナリスト・松本仁一

 アフリカ大陸の最南端はどこか、ご存じだろうか。

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アフリカ最西端でカキを食する筆者

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 南アフリカ共和国の喜望峰?残念、近いけれどノー。喜望峰から南東に約200キロ、「針の岬」(ケープ・アガリャス)とよばれる場所があり、そこが最南端なのである。

 大西洋とインド洋を分けるポイントだ。となれば峻険な突端を想像するのだが、まったく違っていて面食らう。

 砂浜がゆるいカーブを描き、喜望峰のように劇的な断崖も絶壁もない。どこが最南端か、気づかぬうちに通りすぎてしまうような場所だ。

 1980年代、観光振興に力を入れていた南ア政府は、これでは観光客を呼べないと思ったのだろう、当時のボタ大統領の名前で「ここが最南端」という石碑を建てた。

 しかし今でも人気は薄く、観光客の数は圧倒的に喜望峰が多い。

 ではアフリカ最北端はどこか。

 チュニジアのベンサッカ岬。カルタゴ遺跡のすぐ北で、地中海を見下ろす断崖だ。北緯37度、日本だと富山市あたりの緯度と同じである。

 最東端はソマリアのハフーン岬。ソマリアが無政府状態にあり、山賊や海賊が出るため、残念ながらまだ訪れていない。

 最西端はセネガルのベルデ岬だ。大西洋に向かって突き出た岬の突端はアルマジと呼ばれる。

 01年、そのアルマジで屋台の生ガキを食べたことがある。

 彼が打ち寄せる磯のすぐわきに、屋根と床だけのかんたんな小屋がある。床はコンクリート、カウンターもコンクリート。小屋の前の空き地には日傘のついたテーブルが5、6席あり、カキを注文すると、店員の青年がからをむいてくれる。

 1ダースが約180円と安かった。天然もので小粒だが、濃密な味がしてうまい。輪切りのレモンをしぼり、目の前の大海原を眺めながら、ビールをかたわらに食べた生ガキは最高だった。

 このカキ屋台は欧米人観光客の間では有名で、週末は満員行列の盛況だ。日本人旅行者も多く、1人で7ダースたいらげた女性がいたという。

 店の盛況にあずかろうと、周りには生ウニや焼きエビの露店が出ている。それを買ってテーブルに持ちこみ、カキと一緒に食べることができる。ウニはからを半分に割ってくれる。それをスプーンですくって食べるのだが、これも1ダース約100円と安い。

 このカキ屋台、実は日本の青年海外協力隊員が1980年代、セネガル人漁民といっしょにつくったものである。

 83年、ダカールから300キロ南の漁村に、カキ養殖の指導で協力隊の青年がやってきた。彼は入り江のマングローブ林の根元に、天然カキがびっしり付いているのを見つける。こりゃ養殖の指導どころじゃない、と思う。ホンモノがあるじゃないか。

 しかしあたりには生ガキを食べる習慣はない。村人は生ガキが高値で売れることを知らず、身を乾燥して売っていた。町から業者が買いに来るのだが、乾燥カキは2000個分で300円ほどにしかならない。カキ漁業への意欲は低かった。

 青年はバイクに見本の生ガキを積み、首都のレストランやホテルを御用聞きして回る。しかし売れ行きはいまひとつだ。そのとき思いついたのがアルマジだった。

 アフリカ最西端の岬には、欧米の観光客が大勢訪れる。彼らは生ガキを食べる。あそこなら商売になる――。

 見込み通りだった。カキは運んだだけ売れた。乾燥なら10個2円にもならないカキが、生なら12個で180円だ。漁民の目の色が変わった。

 青年の指導で、生ガキ協同組合ができた。ベルデ岬の磯を利用して生け簀をつくる。冷蔵輸送のシステムも完備した。生ガキ組合加入の希望が殺到する。4カ村43戸が組合員になった。

 シーズンは11月から5月末だ。その間に約1万8000ダースが売れる。それまで村では、1戸あたり年に3万円ていどの現金収入しかなかった。それが一気に10万円を超した。

 私がアルマジを訪ねた当時の協力隊員は七尾仁規(26)だった。七尾さんは「私がいなくても、彼らだけでもう十分にやっていけますよ」といった。

 励みになることがありさえすれば、誰だってがんばる。橋や病院を建ててやることだけが援助ではない。「励みになること」を見つけだすことの方が、アフリカの自立支援にはより有効なのだと思った。

 今の協力隊員の課題は、村人の関心を養殖に向けることだ。みんなががんばって取りすぎたため、天然カキが減ってきた。それでも村人は「まだあるのだから、苦労して養殖なんてしなくても」とのんびり構えている。

 「今になくなる。その時あわてても遅い。それを漁民たちと話し合っています」

 協力隊員の本来の仕事である「養殖」が、やっと目に見えるところまできた。

プロフィール

松本 仁一(まつもと・じんいち)
 ジャーナリスト。1968年に朝日新聞社入社。ナイロビ支局長や中東アフリカ総局長(カイロ)を経て、07年12月まで編集委員。アフリカや中東の報道に長年携わり、国際ニュース報道で活躍したジャーナリストに贈られる「ボーン・上田賞」を94年に、07年に「日本記者クラブ賞」をそれぞれ受賞。主な著書に「アフリカを食べる」「アフリカで寝る」「カラシニコフ」「カラシニコフ2」「ユダヤ人とパレスチナ人」など。3月4日には、アフリカから3人のジャーナリストを迎え、東京で開かれる「日本・アフリカ・ジャーナリスト会議」に日本のジャーナリストの代表として参加する予定。詳細はhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/ja_jsad/index.html別ウインドウで開きますで。

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