2008年4月3日

忘れられない友アソン
アソン―高名な学者でも、高級官僚でもない、一人の男。けれども忘れられないアフリカの友。彼は、それまでの留学生活、調査行、そして読書からでき上がった私のアフリカ人へのイメージを変えてくれた。
ザンビアの首都ルサカに住んでいたアソンは、1990年代のはじめの数カ月間、私の運転手を務めた。彼と待ち合わせる機会は何百回とあったけれど、彼は1度として時間に遅れることはなく、行先を間違え、いたずらに迷うこともなかった。普通の運転手が嫌がるスラムの視察にも動ずることなく連れて行ってくれた。家族の不幸とアフリカでの援助のあまりの難しさに神経をすり減らした私を、誰よりも気遣ってくれた。
アソンは寡黙だけれど、ルサカ各所の運転手の溜り場でも、いちばんいい男振りだった。彫りが深く、口ひげとハイヤー会社の制服がよく似合っていた。どんなに勤務時間が長くなっても愚痴一つこぼさない。わずかに彼が口にしたのは、当時の南部アフリカを襲ったかんばつと、日々の暮らしの苦しさへの嘆きだった。私の仕事の必要からかんばつの話には何度か乗ってきたが、自分の貧苦を嘆いたのは一度きり。うめきのように吐き出される妻子の将来を思う言葉に、戸惑い、声を失った。
日本人の仲間に強く勧められて毎日昼食のためにチップを渡していた。これで十分かと目でたずねる私に、感謝しながらうなずく顔によぎる、申し訳なさそうな、辛そうな、そして恥じるような表情を忘れることができない。もっとさりげなくチップを渡すことができなかったかと少し悔やまれる。けれど、ルサカを再訪した際に妻のためと贈った、和製の財布には大きく白い歯を見せて喜んでくれた。
数年後、三度訪れたルサカで、アソンが亡くなったと聞いた。腸チフスのためという。アフリカの貧苦や病の蔓延は、いい男や女をあっけなく死なせてしまう。そのようにアフリカは、私を何度も悲しませ、裏切ってきた。けれども、希望を棄てることができないのは、いくたびかアソンのように誠実な男や女、愛情あふれた父や母にめぐり合ってきたからだろう。貧しさは簡単にはなくせないけれど、貧しさが深ければ深いほど、誠実さや愛情がいろいろなところに見出せる。それもまたアフリカなのだと思う。