2008年11月7日
より質の高い教育を求めてデモをする学生たち(07年7月、マプートで、筆者撮影)。06年より大学でのデモが当局と衝突するなどしている。
これまで20年ほど、NGOやボランティア活動などの市民活動に関わってきた。そして、200年以降は、主として日本の援助政策に対するアドボカシー(政策提言)活動をアフリカの市民社会と共に繰り広げてきた。これまで対話を重ねてきたアフリカ市民組織は300を超えるであろう。この8年間は、仕事以外は、寝ても覚めてもアフリカ市民社会が「生活」の中心にどんと座っていた日々であった。そんな私ですら、94年からアフリカに通っていたというのに、00年当時アフリカに「市民社会」なるものがあるのか、確信を持ってはいなかった。それが今、どう考えるようになったのか、少し紹介したいと思う。
面白いことに、少し前まで日本では、「アフリカ市民社会」と口にした瞬間に、研究者であれ、NGO関係者であれ、政府であれ、「アフリカにそんなものあるんですか?」と聞かれることが常であった。隔世の感がある。
アフリカ各国が複数政党制に移行し始めた90年代、「アフリカ市民社会論」なるものがアフリカ内外の学術界で注目を集め、肯定的に捉える研究者と否定的に捉える研究者の議論が花盛りであった。特に初期の段階においては、先の素朴な疑問と同様の問い、つまり「アフリカに市民社会はあるのか、ないのか?」が延々と議論されていた。「アフリカには農村と都市があり、農村住民を市民と呼べない限りにおいては、アフリカに市民社会があったとしてもそれは都市のNGOのことを指す。しかも、NGOは大抵外部に資金を依拠しているため、土着性に乏しく、外在的なものである」というのが、否定論者の代表的な意見であった。10年前の私だったら、同じように懐疑的な目でアフリカ市民組織を眺め、農村を基盤として調査を積み重ねてきた研究者の端くれとして鼻で笑っていたかもしれない。いや、笑っていたのである。
しかし、私は研究者としてではなく、日本の一市民としてアフリカと関わるようになってから、そのような評論家的見方を変えた。外の人間がどう定義し、分類し、「違う」と言おうとも、自らを「市民社会」と呼びネットワークを構築し、社会のために活動している以上、外部の我々が「でも、あなたたちを市民社会と呼ぶには、あまりに体裁が整っていませんよ」と言う権利など持ち合わせてないのでは、と思うようになったからである。
また、一緒に活動してみてアフリカの市民組織のパワーに圧倒されたことも大きかった。もちろん、よく言われるように、アフリカのNGOの中には、日和見的な団体(HIV/エイズなら資金がもらえると聞けばHIV/エイズのプロジェクトをするような団体)やドナー主導型の団体が存在した。「ブリーフケースNGO」と揶揄されるように、コミュニティでちっとも活動しないのに、立派な身なりで体裁の整った報告書を携え、ドナーに可愛がられることを目標として、沢山の資金を引き出すような団体も確かにあった。
他方、政府に睨まれながら腐敗を糾弾し続ける独立系メディアの人びと、廃棄農薬の焼却に反対するうちにゴミ問題やダム問題にも目覚めていった住民組織、HIV/エイズ感染者の当事者団体、全国農民組合、女性団体……枚挙にいとまがないほど、自分たちや仲間、社会のために、国家権力と闘ったり、根気強く対話を続ける団体と出会ってきた。この人たちの真剣さの前で(全団体、全スタッフというつもりは毛頭ないが)、「あなたたちの市民社会は市民社会ではありません」などと言えるだろうか。私にはとても言えない。
より良い社会建設のために立ち上がった人びと。アフリカではかなりの危険が伴うことである。それでも体を張って闘う人びとと出会い、私は自分の社会で何をしてきただろうか、そう考え始めた。そして、日本社会を見渡したときに、「これが市民社会だ」と呼べるようなものが果たしてあるか、と問うたのである。そして、私たちは今何をしているか、と。私たちは闘っているだろうか?諦めてはいないだろうか?何かを変えることを。何かを変えられる力を一人一人が持っているはずなんだと気づくことを。
今、日本でも新聞報道の見出しだけ読むと、日本が「政治変動」のまっただ中にあるかのような錯覚を起こす。しかし、私たちは知っている。騒いでいるのは政治家とメディアだけであって、私たちは踊っていないことを。たとえ政権交代があったとしても、それは社会が動いたからではないことを。そこに、この国の未来への躍動感の欠落を見るのであった。「今を生きる」活気というものが、現在のアフリカの多くの国で感じられる。特に、数々の腐敗や抑圧を経験してきた人びと、そして自らの権利に目覚め立ち上がり始めた人びとの中から、多くの団体・活動が生まれていることを。
もちろん、これらの立派な活動をしている団体も、さまざまチャレンジに直面している。問題の最大のポイントは、日本の市民組織と同じ。ずばり、「お金」。「何のためのお金か」と言うと、専門的知識を有する熱意ある人材が継続的に、活動に専念できるための人件費である。これが出ない。外部資金は、もっぱら現場でのプロジェクト事業に集中し、組織の人件費に資金が拠出されることは稀である。日本では、別の仕事をして生活費を稼ぎながらボランティアで市民組織を支える人がいて初めて市民社会は成り立っている。格言う私もその一人。しかし、それでは活動に割ける時間も労力も十分ではなく、継続性に乏しい。他方、アフリカの場合は、働いてもそもそも給料も低く、ボランティアなどやれる状況にある人はごく僅か。
そのため、アフリカでも日本でも、市民組織で給料をもらって働き、食べていけることが重要になってくる。しかし、世界最貧地域のアフリカ。このための資金をアフリカ社会内部で創り出すのは至難の業…というかほとんど不可能に近い。そこで、外部からの資金に頼り、外部の影響を受けやすく、外部からの支援が途絶えると活動はたちゆかなくなる。この問題については、後で具体的な事例を紹介する。さらには、能力のある人が外部の援助機関の引き抜きに遭い、担当者が変わることも多い。または、組織内のもめ事で組織が分裂することもある。お金を持ち逃げする人がいて組織が崩壊。「持続性」という意味では、アフリカ市民組織にはまだまだ課題が多いのである。
だからといって、「アフリカの市民社会は駄目」というわけでもない。離合集散、紆余曲折、一進一退を繰り返しながらも、方向性としては前進しようというパワーに溢れているからである。日本の市民社会だって、まだまだ自慢できるほどの水準に達しているわけではない。そこに、アフリカ・日本の市民社会間協力の魅力がある。市民社会が発達した国の人間として、上から教えてあげるのではなく、市民社会が発達していないからこそ、お互いが一緒に走る中で学びあい、成果を出していける可能性を秘めているからである。
「ここがなってない」と傍観者や批評家でいることは簡単である。逆に、「こうあるべき」と上から押し付けるのもまた然り。しかし、失敗も成功も、痛みも喜びも、共に分かち合いながら、共に走ることは容易ではない。苛立ちも募るし、裏切られることもある。一緒にこけることもあるし、がっかりさせることもある。でも、だからこそ意味がある、と信じてきた。
そして8年が経った。特に、ここ数年のアフリカ市民組織の目覚ましい組織化と活躍により、「アフリカに市民社会はあるのか、ないのか?」の議論をする人はさすがにいない。むしろ、どのような課題と可能性を持っているのか、という点に議論は移って言ったといえる。
