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脅かされるささやかな暮らし シリーズ・ジンバブエ(3)

2008年12月8日

  • アフリカ研究者・横山仁美

写真ベアトリス。グレンビューの自宅前で。教会の合唱コンクールのためのユニフォームを着ている写真教会の合唱コンクール。コミュニティごとのグループに分かれている写真教会の敷地で、食事をつくって販売している女性たち。購入すると教会への寄付になる写真教会のイベント当日。忙しそうに立ち働くベアトリス写真教会前の小さなお店。インフォーマルな商売で生計を立てている人がほとんどである

 ハラレがまだ、ソールズベリと呼ばれていた英国植民地ローデシア時代、ハラレ市内の通りや地区の名前もまた、英国風のものばかりであった。ローデシアは、1980年に独立してジンバブエ共和国となり、首都ハラレの通りの名前は次々と独立闘争の英雄やアフリカ諸国の元首の名につけかえられていった。ハーバート・チテポ、ジョサイア・トンゴガラ、レオポルド・タカウィラ・・・そして、タンザニアの初代大統領ジュリウス・ニェレレや南アフリカのネルソン・マンデラの名もある。ジンバブエの人々は、植民地を思わせる名前が次々と塗り替えられていくことに独立の喜びを噛み締め、誇りを感じていたのかもしれない。

 一方で、市内の多くの地区名は未だに英国を思わせる名前のまま変わっていない。語学教師のベアトリスが住むグレンビューもそのひとつだ。グレンは、スコットランドで今も使われるゲール語で、「峡谷」を意味する。グレンビューは、ハラレの中心街から南西へ向かって15分ほどバスに乗ったところ、工場地帯の先にある。ハラレ市街を取り囲むようにして広がるいわゆるハイデンシティ・エリアと呼ばれる地域のひとつで、小さく密接して住宅が集まっており、主に低所得者層が暮らしている。

 ベアトリスは、ハラレ中心街にある専門学校でショナ語と英語を教えている。数年前に夫と死別した30代前半のシングルマザーだ。彼女の2人の娘たちは、親元を離れて親戚のところからプライマリ・スクールに通っている。

ジンバブエで使用されている英語以外の主要言語は、ショナ語とンデベレ語だ。ほとんどが多民族国家であるアフリカ諸国の中で、ジンバブエは人口約1300万人のうち7割程度をショナ人が占める。私は、彼女のショナ語の生徒のひとりだった。ベアトリスと出会ったのは偶然だったが、2年近く続いたショナ語の勉強や一緒に過ごした時間を通じ、彼女は私をジンバブエへぐっと近づけてくれる大切なキーとなる人物になった。

 ベアトリスは、とても忙しい女性だ。

 失業率が80%ともいわれる経済崩壊状態のジンバブエで、多くの人々がインフォーマルな職業や海外へ出稼ぎに行った親族からの送金に頼って生活している状況においては、専門学校の語学教師は比較的安定した仕事だったのかもしれない。しかし、毎日のようにジンバブエドルの通貨価値が激しく下落していく経済の中で、その月給は彼女が家族を養っていくのには決して十分な額ではなかった。学校で教える以外にも、ショナ語・英語の生徒を個人レッスンで取ったり、知人のビジネスを手伝ったりしていた。

 いつも私の職場近くのカフェまで来てくれて、昼休みの時間にショナ語を教えてくれるベアトリスとは、年齢も近くフィーリングも合ったので本当によくお喋りをした。もちろん、語学教師としての彼女の教え方はプロフェショナルで、生徒にはショナ語の日常会話の基礎や単語はもちろん、きちんとした文法も身につけさせる。明るく、面白おかしく話したり、ときに非常に真面目な話もしたりするベアトリスとは、仕事のことやら「ガールズトーク」までたぶん誰よりもたくさんお喋りしたのではないかと思う。その中で、学ぶことや救われることが多かったのは言うまでもない。

コミュニケーション力に長けたベアトリスがいると、いつも場に笑いが絶えない。忙しいはずのベアトリスは、教会やコミュニティでの活動にも熱心で、よく女性グループの収入向上プロジェクトの話などもしてくれた。彼女の生活は決して楽なものではなかったと容易に想像できるが、そのような愚痴は彼女の口から聞いたことはなかった。彼女は、相手をとても気遣うひとでもあった。

 グレンビューの彼女の自宅を、何度か訪ねたことがある。日が暮れてしまった夕刻、ハラレの中心街をバスターミナルまで歩いて、おんぼろ大型バスの超満員の乗客たちに混じってグレンビューまで行くと、そこはいつも外国人の私にとってもどこかほっとできる場所であった。もちろん都市部では、経済状況のせいもあって一般的に治安が悪く、日が落ちると危険なので本来まともに歩くことはできなかったが、ここでは近所のひとがいつも身近にいて、夜中にベアトリスと歩いても顔見知りばかりに会った。彼女はいつもコミュニティとつながっていた。

 彼女の自宅は、数世帯がシェアをするためにいくつかのセクションに区切られていて、電気がちゃんと引かれ、灯りはつくしテレビも観られる。建物の外には、水洗トイレと簡易シャワーがある。いつも隣の部屋の物音や声、音楽が聞こえていた。小さな家なので、泊めてもらうときはもちろんベッドをシェアしたが、家事手伝いをしてくれる隣人の少女が食事を作ってベッドを整えてくれたり、近所の女性が食事に来たりと、日常生活はいつも周囲のひとたちと共にあった。

 コミュニティのローマカソリック教会に連れて行ってくれたのもベアトリスだった。イースター前の合唱コンクールの日など、コミュニティで活躍中の彼女は準備に大忙しだ。大勢の人が揃いの衣装を身につけ日ごろの練習の成果を披露し、ため息をつかせるほどきれいなハーモニーを響かせる。屋外では、近所の女性グループが大きな鍋を取り囲んで座り、シチューやサザ(トウモロコシを粉に挽いたものを湯がいて作る主食)を作っている。もちろん、これらを購入すると教会への寄付になるのだ。

 ベアトリスのような、ささやかな暮らしを立てている一般のひとたちが、このジンバブエのハイパーインフレーションにいちばん大きな打撃を受けているのであろう。いくら働いても食べていくことが出来ない国から出て、南アフリカなどに仕事を探しに行くひとが数百万人にも達するといわれている中、彼女もまた、南アフリカやヨーロッパに行くことを考えていた。

 今年3月の大統領選挙をめぐる暴力と抑圧の中で政局は混沌とし、現在はこれまでと比較にならないくらい状況が悪化しているようだ。独立以来権力の座についているムガベ大統領は、今回の大統領選挙で再選となった。9月には野党側と権力分割に合意したにも関わらず、権力を譲らぬままに政府自体がこう着状態になってしまった。その間、ジンバブエドルはもはや紙くずのような価値しかなくなり、小売店でも食料品や日用品も満足に販売されなくなった。グレンビューには、野党支持層も多い。

 独立のとき人々が胸に抱いた夢が崩れていく。英国植民地ローデシアがなくなったとき、希望を込めて新しく名づけられた通りのひとつには、独立の英雄ロバート・ガブリエル・ムガベの名もある。

プロフィール

横山仁美(よこやま・ひとみ)

アフリカ研究者。大学在学時、南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドの研究を始め、南アフリカ・ボツワナで調査を行う。
 2001年より、飢餓や紛争、野生動物というステレオタイプにとらわれない「普通のアフリカ」を日本の人に知ってもらうきっかけを作るため、日本語メールマガジン『あふりかくじらの自由時間』を発行するとともに、ブログを開設している。
 エディンバラ大学アフリカ研究センター修士課程修了後、コンベンション会社、開発コンサルタント勤務等を経て、2005年から外務省専門調査員として在ジンバブエ大使館に勤務し2007年帰国。現在は、開発コンサルタント会社に所属。


ブログ『あふりかくじらの自由時間』 http://blog.livedoor.jp/africanwhale/

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