現在位置:asahi.com>国際>魅惑大陸アフリカ> アフリカ特集 > 記事 変わるアフリカ 負の現実(1) 貧困の怒り 都市に充満2008年05月23日
夜の闇がごみと汚物を覆い隠し、貧しさのうっぷんを吸収する。露天商の灯油ランプが、密集する粗末な家々にわずかな陰影を与え、庶民がうごめく。社会の最底辺にも、にぎわいが訪れる時間帯だ。
ナイロビ中心部のキベラ・スラム。13地区に分かれ、人口は80万人とも150万人ともいわれるケニア最大のスラムだ。昨年末の大統領選を機に起きた暴動では、多くのスラムの若者が街で略奪を繰り返し、政府から長年優遇されてきたキクユ族を襲った。 南側のライラ地区は近年人びとが住みついた。トウモロコシ粉からつくる安い密造ビール「ブサ」を出すバーに、パトリック(26)が現れた。暴動で地区の若者を率いて暴れ回ったリーダーの一人だ。生ごみの腐臭と体臭が入り交じるバーの奥では売春婦たちが客を待つ。パトリックは200シリング(約340円)を払った。250シリングの日雇い仕事の稼ぎから少しずつためた。 谷になっているライラ地区の底を幅50センチほどのどぶ川が流れる。そのわきの広さ3畳ほどの借間に住む。05年、西部州にあるルヒヤ族の村シガラガラからやって来た。 村は0.5ヘクタール未満の畑しか持たない零細農家ばかり。どの家も子だくさんで、収穫したトウモロコシや豆は一家で食べればなくなった。家畜や果物を近くの市場で売ってわずかな現金収入を得ている。 少しでもましな生活をするには若者が都会に出て稼ぐしかない。元手がないからスラムにしか住めない。ルヒヤ族の地区会長がいるライラに来たが、家賃が1500シリングもする部屋を貸してくれただけ。教育も資格もないから定職は見つからない。スラムで出会ったエブリン(24)と2年前に結婚。余計貧しくなった。 そんな日常を変えたのが、大統領選の暴動だった。 習ったことのあるボクシングの腕が買われ、地区の若者約70人を束ねる「コマンダー(司令役)」を任された。近隣の数地区を合わせた総勢約700人の集団はみな無職の地方出身者。昼夜を問わず何でもやった。「買い物」と称して略奪。給油所から奪ったガソリンで、キクユ族の家や店に火を放った。持ち物は増え、仲間の団結が強まった。 「悪いのは、われわれを空腹にしたキバキ(大統領)とキクユ族だ。暴動は生きるための権利」と開き直る。小学校を中退したパトリックは英語が話せないが、暴動の時に教わったこのフレーズは英語ですらすらと言えるようになった。スラムの居心地がよくなったが、つかの間だった。 暴動が収まって約3カ月。相変わらず貧しいだけの暮らしが戻りつつある。日雇い仕事は週3日あれば幸運。収入は家賃や食費に消え、仕送りはできない。村を出て3年。だれも豊かにならなかった。 それでも、多くの若者がスラムをめざす。運次第では定職が見つかる可能性がある――。少なくとも、そう信じるしかない。キベラの人口は、この10年で5倍近くに膨れあがった。8割が無職だ。 近くにある中流層の住宅街を眺めながら、パトリックは「外の人びとを攻撃しても、さげすんでみても、何も得られない。ストレスは最底辺の者同士で発散するしかない」と話す。ここでは弱者が弱者を食い物にしてみんなが弱っていく。そう感じる。(ナイロビ=古谷祐伸)=文中敬称略
■現金求めて出稼ぎ 働き口ない農村の若者 ケニアは、約3510万人の人口の6割が農民だが、自給自足が精いっぱいの農家が多く、現金収入を得るには都市に出稼ぎに行くしかない。だが、教育水準の低い農村の若者にまともな働き口はない。スラムに住み着き、都市貧困層が増え続けている。犯罪に走る者も少なくない。 農村の貧しさは各農家の土地の狭さが背景にある。大家族で多くの子どもが分割相続し、わずかでも貴重な財産であり、手放さない。だから農業の集約が進まない。 政府は農業生産性を高める施策をほとんどとってこなかった。輸入に頼る肥料が最近の世界的な食糧需要の高まりと原油高による輸送コストの上昇で急騰。貧しい農家は肥料も買えず、苦しくなるばかりだ。 貧農の不満は豊かな農民に向く。英国からの独立運動の中核を担ったキクユ族が優先的に白人が所有していた豊かな土地を手にし、民族間格差と対立が深まっていった。 ◇ 経済成長の兆しを見せるアフリカ。しかし、多くの人びとに、貧困は執拗(しつよう)にまとわり続けている。都市貧民、もがく農村、児童労働、紛争のつめ跡――アフリカの、負の現実を報告する。 PR情報 |