08年9月号
なぜアメリカのキリスト教徒はユダヤ国家を支持するのか
――旧約聖書がつなぐアメリカとイスラエル
ウォルター・ラッセル・ミード/米外交問題評議会シニア・フェロー(米外交政策担当)
世界におけるアメリカのアイデンティティーおよび使命感は、ヘブライ人の歴史と思想を読むことによって形作られてきた。作家ハーマン・メルビルは、「われわれアメリカ人は特別な選ばれた民であり、現代のイスラエルと言ってよい。われわれは世界における自由の擁護者である」と書いている。ピューリタンの時代から現在にいたるまで、アメリカの宗教家、思想家、政治家は、世俗的か宗教的か、リベラルか保守かにかかわらず、血のつながりよりも信仰と運命にもとづき、アメリカ人を選ばれた民と考えてきた。
「神(または歴史)が自分たちを新しい土地に導き、偉大で豊かな存在とした」とアメリカ人は考えており、「今後も繁栄を維持できるかどうかは、神への義務を果たし、これまでのように、主の祝福というご加護をもたらしてきた教えに今後も従うかどうかにかかっている」と信じ、神の教えを無視し、神に背いて目先の利益を追えば、災難がふりかかると考えている。
敬虔なアメリカ人だけでなく、世俗的なアメリカ人さえも、ヘブライ聖典を手に、「自分たちは神によって他の人々とは区別され、世界を変えるという運命を与えられている」と考えてきた。現在アメリカ人が住む土地は、かつては他の人々のものだったが、「ヘブライ人も同じようにカナン人の土地を征服した」とアメリカ人は考えている。
正義という大義で武装したアメリカという小さな入植地は、謙虚な羊飼いの少年ダビデが巨人ゴリアテを倒したように、(大英帝国という)世界最大の帝国を打ち破った。19世紀のアメリカは他の世界から孤立し、民主主義の理念も相手にされなかったが、ヘブライ人もまた偶像崇拝者に囲まれ、孤立していた。アメリカ人はヘブライ人と同じように、国内でも国外でも敵に勝利した。そしてアメリカ人が自らの信念に反して数百万人の奴隷を持ったとき、神の前で罪を犯したヘブライ人が災難に見舞われたように、罰が下り(南北戦争という)災難がふりかかった。
アメリカの性格と運命に関するこうした神話的な解釈は、アメリカの文化と思想におけるもっともパワフルで永続的な要素だ。古代ヘブライ人がそうであったように、現代のアメリカ人の多くも、自分たちのためだけでなく、全世界のための啓示を担っていると信じ、自国のことを神にとっての新しいイスラエルと考えている。一つには、こうした選民としての同胞意識をもとに、アメリカ人の多くは一方の選民が他方の選民を助けるのは適切だし、そうあってしかるべきだと考えるようになった。
孤立し疎外された民であり国であるユダヤ人とイスラエルを支援することが、しばしばアメリカの評判を落とし、別の問題をつくりだすことになっても、アメリカ人は気にしない。アメリカがイスラエルの保護者、ユダヤ人の友人という役割を引き受けたのは、神が特有の運命を与えられた国という自らの地位を正当化するためでもあったからだ。
これに加えて、アメリカは19世紀以降、自らを、ユダヤ人を保護し救済するために神に選ばれた代理人であると自負してきた。ヨーロッパ各地からアメリカに移住してきた自分たちが、ジェファーソン主義を実践する農家として、よりよい暮らしと不屈の精神を培っていったように、ユダヤ人も都市のスラムから地方へと移り住むことで、劣悪な暮らしから抜け出せると信じていた。アダムズに代表されるリベラルなキリスト教徒の多くは、そうなればユダヤ人の人間性が全般的に高まり、リベラルなプロテスタンティズムに目を開くだろうと考えていた。他方、運命論的シオニストたちは、ユダヤ人が復興主義キリスト教に集団改宗すれば、啓示が実現しイエスが再来するのではないかと期待した。いずれにしても、アメリカがユダヤ人の復興に向けた特別な役割を果たすことは、非ユダヤ系アメリカ人の歴史的欲求を満たすとともにアメリカのアイデンティティーと使命(と彼らが考えるもの)を確認する作業だったのだ。
The New Israel and the Old
<フォーリン・アフェアーズ日本語版2008年9月号>
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