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日本人のアジア観 日清戦争で「蔑視感情」広がる

 日清戦争は、日本人が持つ中国や朝鮮へのイメージを大きく変えた。

 例えば、福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)が率いる「時事新報」。開戦直後の1894年7月29日に「日清の戦争は文野(ぶんや)の戦争なり」と題する社説を掲載した。

 「文野」とは「文明」と「野蛮」のことだ。戦争を「文明開化の進歩をはかる」日本と、「進歩を妨げんとする」清国の戦いと位置づけた。11月には朝鮮に対しても、「文明流」の改革のためには「脅迫」を用いざるを得ず、「国務の実権」を日本が握るべきだとする社説を載せた。

 反戦主義者として有名な内村鑑三(うちむら・かんぞう)ですら、この時点では同様の認識だった。同年8月、日本は「東洋における進歩主義の戦士」で、中国は「進歩の大敵」だと訴える論文を欧米人向けに英語で雑誌に発表した。

 日中関係を研究する敬愛大(千葉県)の家近亮子(いえちか・りょうこ)准教授は、「日清戦争の勝利は日本に、アジアは遅れているという認識を根付かせた。蔑視(べっし)感情も広がった」と指摘する。その意識は10年後の日露戦争でさらに強まり、中国侵略に踏み出す行為につながる。

 こうした意識は今もどこかに残っていないだろうか。家近さんは7月、学生に「あなたはアジア人だと意識したことがありますか」とアンケートした。

 教室の半分近くを占めるアジアからの留学生は、86%が「ある」と答えた。これに対し、「ある」と答えた日本人は63%にとどまり、「むしろ欧米人だったらよかった」と記した学生もいた。

(吉沢龍彦)

 ◆人名の読み仮名は現地音です。日本語読みが定着している場合にはひらがなで補記しています。

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