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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com >歴史は生きている >2章:日清戦争と台湾割譲 >シリーズ・識者20人に聞く > 半藤一利
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![]() 1930年生まれ。「文芸春秋」編集長などを歴任。歴史研究で旺盛な執筆を続ける。「昭和史」(平凡社)など著書多数。 |
(「10大出来事」では)順番は本来つけがたいのですが、一番に日中戦争を挙げました。近代国家になった日本の帝国主義が明白に、具体的に歯をむきだした時ですね。
それまでの日本と中国の流れを見ますと、起こるべくして起こったものではあった。芥川龍之介の「支那游記」には、芥川さんはそんなことは全然意識しないで書いていますが、中国がいかに反日だったかがよく出ている。いつか衝突するとは当然懸念されますよね。
でも日本の歴代内閣には問題解決への意思が感じられない。南京を取った、戦争が終わると思ったら終わらない。漢口を取った、これまた終わらない。これ以上軍隊を奥に運ぶのは大変だとなっても、和平を考えるかといえば考えないんです。問題は分かっていても、手を打てない。一番の教訓じゃないでしょうか。
日露戦争の問題は、戦争そのものより、勝った日本で中国に対する優越感があらわになったことです。それまでは中国にある種の敬意を表していたのに、すごく優越感を持つようになった。多くの中国人留学生が来ていましたが、日露戦争で勝利を確定しようかという頃には留学生を弾圧していく。高揚して意識が変わっちゃう。辛亥革命時の志士たちは日本留学組が多いんですが、みんな追い出されています。これを大事にしておいたらねえ。
3番目に挙げた日本の敗北は、アジア諸国には喜ばしいことだったでしょう。大東亜共栄圏といった言葉はスローガンでしかなくて、日本人の心の中にあったとは思えないんですよ。1944年に出た東南アジアの国々に礼儀を教えるという本には「土人」とある。おごり高ぶっていた。
日露戦争後の日本が強国、大国意識になった末が満州事変で、謀略で問題を解決しようとした。日満議定書を読むと、日米安保条約と似ています。日満共同防衛のために満州国内に日本軍隊をいつでも、どこでも、幾らでも駐屯できる、と。完全な傀儡(かいらい)国家でした。
眠れる大国を破った日清戦争は、日本がアジアの盟主たらんと思い始めるきっかけになりましたが、勝海舟は中国はそんな国じゃない、いい気になって小馬鹿にするのは大きな間違いだと盛んに言っていました。物事が見える人には、そういうことがまだ見えていた。
朝鮮戦争は、よく言われる通り戦後日本にとって神風でしたね。酒が焼酎からトリスに変わってオーシャン、サントリーと、あれよあれよ。あの特需がなければ、まだまだ復興は大変だったことでしょう。朝鮮の人たちにはこれほどむごい戦争もありませんでしたが。
あまりしゃべりたくないのが韓国併合(*)です。国際的にも認知されていたという言い方がされますが、問題はその後の日本の政策で、他民族とのつきあい方が本当になっていない国だと証明したようなものです。民族の誇りがどれほど強いかを理解せず、きちんとした政略が何もなかった。
最後はアヘン戦争です。近代国家を作らなきゃいけないという意識を日本人に持たせ、明治維新を促進した点で大きな働きをしましたね。
いま日本人は、かつて朝鮮人や中国人に与えた痛みをあまり感じていないようですが、人間は歴史を背負って生きていく。自然なつき合いのためにも、知っておくべきことはあります。
*韓国では併合条約を認めておらず「強占」と呼んでいる。
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