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現在位置:asahi.com >歴史は生きている >3章:日露戦争と朝鮮の植民地化 >シリーズ・識者20人に聞く > 比屋根照夫



沖縄の体験から見えること 比屋根照夫(琉球大名誉教授)

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1939年生まれ。近代の沖縄と日本、アジアの関係史を研究。現代政治についても積極的に発言している。

 沖縄の近現代史を軸に「10の出来事」を選んだ。抑圧された沖縄の体験には東アジアとの共通点が多い。そこから近現代史の重要な論点が浮かび上がってくる。

 アジア太平洋戦争における沖縄戦は、そうした視点の原点となるものだ。沖縄戦は日本国内の地上戦というより東アジアにおける日本軍の地上戦と同じ様相を呈している。日本軍は沖縄の住民を保護しなかっただけでなく、住民をスパイ視して虐殺した。中国や東南アジアの戦線でも日本軍による住民虐殺があった。その延長に沖縄戦があったと考えた方が理解しやすい。

 沖縄戦後、沖縄は日本から切り離されて米軍の統治下に入れられた。アメリカは冷戦のさなかの1950年代には「銃剣とブルドーザー」と形容される土地接収を強行し、人々の生活を破壊した。

 そうした状況下で、沖縄戦とは何だったのかという鋭い問いかけが出てきた。沖縄を切り売りする日本の政策のあり方とアメリカの強硬政策が明らかになり、近代史の再検討につながった。

 沖縄には琉球王国の独自の歴史があり、日本に組み込まれるまでアジアとは友好的な関係を保っていた。東アジア共同体ともいえる冊封体制の中で、様々な芸能や文学が花開いた。この関係を断絶させたのが琉球処分だった。

 断絶と同時に日本への同化政策が始まった。沖縄では近代の入り口で「脱亜」と「同化」が一緒に展開されたわけで、私はこれを「脱亜同化」と呼んでいる。同化が強くなればなるほど、アジアとの関係を切り捨てることになる。

 日清戦争はその転機となった。清は琉球問題に対する異議申し立てをしなくなり、帰属問題は大局的に決着した。その後「脱亜同化」の流れが強力に推し進められると、沖縄の文化は劣等、野蛮、非文明的だとみなされることになった。これは日本のアジア観の原形となるものだ。

 20世紀初頭になると伊波普猷(いは・ふゆう)のような学者が現れ、「沖縄人」の歴史体験に根ざした沖縄研究を提唱した。それは沖縄への差別と偏見の打破を目指すものであった。

 この前後に、アジアからは列強の植民地政策を批判した知識人が輩出している。フィリピンのホセ・リサールやベトナムのファン・ボイ・チャウ、中国の魯迅らだ。列強の支配を脱し、民族の尊厳をどう取り戻すか。これが東アジアでは実践的な学問として起きた。そこには沖縄研究との思想的な系譜をみてとることができる。

 第2次大戦後、沖縄の日本への復帰運動は、当初は素朴なナショナリズムだった。ところがベトナム戦争が激化する中で質的転換が図られた。

 嘉手納基地でB52爆発炎上事故が起きると、近隣住民の不安が高まっただけでなく、沖縄から出撃したB52の北爆によって無辜(むこ)のベトナム人が殺されている実態も認識されるようになった。それまで復帰運動は「被害者としての沖縄」を強調していたが、沖縄はベトナム戦争に加担しているという「加害者」の意識が芽生え、多くの人々が「反戦復帰運動」に立ち上がった。これが後の基地反対運動につながっていく。

 戦後、沖縄とアジアとの関係は断絶していた。しかし加害者意識をもとにして、沖縄にアジアへの共感が生まれた。人々が真のアジア理解の鍵を握ったと位置づけたい。

(聞き手・吉沢龍彦)
  • (1)アジア太平洋戦争と沖縄戦
  • (2)日本からの沖縄の分離と米軍の沖縄統治の開始
  • (3)琉球王国の廃絶と琉球処分
  • (4)琉球問題をめぐる日清間の紛争
  • (5)日清戦争と琉球問題
  • (6)明治政府の同化政策と沖縄研究の台頭
  • (7)台湾・朝鮮問題と沖縄
  • (8)日本復帰運動の高揚
  • (9)ベトナム戦争の激化と反戦復帰運動への転換
  • (10)「代理署名」拒否闘争と基地反対運動


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