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〈記憶をつくるもの〉

藤野先生―中国で知名度高い恩師

写真

「藤野先生」の像。題字は魯迅が残した自筆による=北京魯迅博物館で、福田写す

 小泉純一郎や中田英寿、浜崎あゆみに交じって、堂々9位に「藤野先生」。2003年、ある調査に中国の中学生約470人が答えた「知っている日本の人物名」だ。

 「藤野先生」は魯迅の作品の題名で、仙台医学専門学校の恩師・藤野厳九郎教授との思い出がつづられている。藤野は解剖学の教授で、魯迅を親身に指導した。北京魯迅博物館には、藤野が「惜別」と裏に書いて魯迅に贈った自分の写真とともに、赤ペンで藤野が丁寧に補足した魯迅のノートが展示されている。博物館の庭先には最近、藤野の胸像が建てられ、9月25日に除幕式があった。

 魯迅によって中国で広く知られる「藤野先生」だが、この作品では同時に、医者を志していた魯迅が文学に転じた契機という重い主題が語られている。「幻灯事件」だ。仙台医専での授業で、余った時間に映し出された日露戦争時のスライドで魯迅が見たのは、スパイを働いたとして日本軍に処刑される中国人と、ぼんやり見ている周囲の中国人だった。

 「藤野先生」に先立つ第1創作集「吶喊(とっかん)」の「自序」でも、魯迅はこの事件に触れている。「愚弱な国民は、たとい体格がどんなに健全で、どんなに長生きしようとも、せいぜい無意味な見せしめの材料と、その見物人になるだけではないか」と書き、まず「精神の改造」こそ先決で、そのためには文芸が第一と考えたのだという。

 幻灯事件は実話そのものではないと考えられているが、敬愛する日本人教授の思い出と、民族的屈辱をともに抱え、魯迅はやがて中国へと帰っていく。


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