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〈教科書を比べる〉

台湾―「国父」の敬称消えた孫文

 

 辛亥革命と中華民国建国は中国史でかなり詳しく書かれている。「国民中学・社会」(南一書局)は武昌蜂起に1ページ、袁世凱の帝政運動までの民国初期に2ページを割く。「民国初期の騒乱」の単元では、この時代を次のように描く。

 《辛亥革命の後、アジアで初の民主共和国――中華民国が打ち立てられたが、国運は順調には進まなかった。袁世凱が共和制を壊し、軍閥が乱立し、南北分裂の事態になった。そのうえ外患が減ることもなく、騒乱続きで心休まる日はなかった》

 一方、83年の「歴史課程標準」に基づく教科書では、「国父・孫中山先生」の革命物語として多くのページが割かれている。「国民革命運動の偉大な唱道者」とされ、後の国民党指導者の蒋介石と並んで、「先生」の敬称が付けられた。

 現行の教科書では孫文は革命指導者の中の一人という位置づけだ。写真説明に「国父」「孫中山先生」が残っているものもあるが、03年の「小中9年一貫課程綱要」に基づき、本文からは「国父」などの敬称は消えた。今の民進党政権が進める歴史教育での台湾化、脱中国化の流れだ。

 南一書局の教科書の編集指導委員の周恵民(チョウ・ホイミン)・政治大学歴史学部教授は「『国父』は国民党が作った概念だ。彼は偉大な人物に作り上げられたが、その後の研究でそれほど偉大でもないことが分かった。孫文がいなかったら、中国はもっと良い方に発展したかもしれない」と語る。

 5・4運動には2ページが充てられ、高く評価している。

 《五四愛国運動は中国社会各階層に広まる自覚を示し、国家の自立と富強を求める国民の意識を深めた》

 一方、3・1運動は、世界史の「アジアの民族復興運動」の項目で、《1919年、ソウルで大規模な抗日運動が起きた》と書かれているが、「3・1運動」という表現はない。

 (田村宏嗣)

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