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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com >歴史は生きている >5章:満州事変と「満州国」 >シリーズ・識者20人に聞く > 北岡伸一
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![]() 1948年生まれ。日本政治外交史が専門。日中両政府の合意で昨年12月に始まった日中歴史共同研究の日本側座長。 |
現代に至る東アジアの歴史を形作る上で、重大な意味を持った「出来事」を、時代順に取り上げた。ただ、変化はしばしば目に見えない持続的な蓄積として起こるので、必ずしも「事件」ばかりではない。また、一つの事件はしばしば二つ以上の意味を持ち、多義的であることにも注意しておきたい。
第1は常識的だが、アヘン戦争だ。誰も、中国があれほど簡単に西洋に負けるとは思っていなかった。東アジアが西洋近代に対して非常に脆弱(ぜいじゃく)であることが分かったという点で大きな出来事だった。
2番目は明治維新。東アジアの伝統社会が、外圧に反応するだけでなく、みずから内発的な契機を発展させることによって、近代国家を作っていった。ここで言う明治維新は、開国から近代国家の成立までのプロセスを含む。
3番目は日露戦争。最初に事件は多義的でありうるといったが、日露戦争もそうだ。西洋文明を身につけた非西洋国家が、西洋列強に勝利することができるということを示した。その意味で、世界中の被抑圧国家に大きな衝撃を与えた、世界史的な事件だった。他方で、日露戦争以後、日本は韓国併合へと進み、植民地大国として進んでいった。
4番目は日中戦争。日本の大陸での膨張と中国のナショナリズムがぶつかった。同時に、日中戦争は中国沿岸部における資本主義の発展を破壊してしまった。その結果、共産党革命を導いたという点でも非常に重要だ。
もし、日中戦争が起こっていなかったら、もし盧溝橋事件が起きていなかったら、あの時点で国民党は共産党を制圧したと思う。そういう意味で大きな分岐点だった。
5番目には「太平洋戦争と原爆投下」を挙げたい。太平洋戦争には色んな意味がある。まず後発帝国の日本が英米と正面衝突したという点。さらに世界史的には、日本が意図してやったわけではないが、欧米列強の後退がある。太平洋戦争の論理的帰結として、東アジアでの植民地の独立が進んだ。また、原爆は世界の軍事上の大革命で、戦争のあり方を決定的に変えたという点でも落とせない。
6番目に挙げたのは朝鮮戦争。これがなければ、日中国交回復や日本の講和も違った形になっただろう。
7番目には「日本の戦後復興・高度成長」を挙げたい。軍事的発展路線で挫折した日本は、自由貿易体制の中の正当な経済活動によって世界有数の経済大国となった。
8番目は、ベトナム戦争。独立運動と冷戦思考がぶつかった事件。ドミノ理論が間違っていたことも、今日の重要な教訓だ。
9番目には、「東アジア諸国の経済発展と民主化」。東南アジア諸国連合(ASEAN)の結成と発展、それに時期は異なるが韓国や台湾も経済発展を通じて中産階級が台頭し、やがて民主化につながった。
10番目は、中国の改革・開放となる。その後の中国の発展が、ここから始まるのは、あらためて言うまでもない。
以上を貫くテーマは、ナショナリズム、社会主義、経済発展の三つだ。西洋との出会いの中からアジアのナショナリズムが触発され、社会主義の影響を受けつつ、そこから脱して、経済発展を遂げていった。次はナショナリズムの克服が課題となるだろう。
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